宮本武蔵一覧

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時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
 新型コロナウイルス蔓延による外出自粛令が出ているが、自宅で過ごす今は、これまで手を出せなかった映画・ドラマに挑戦する絶好の機会だ。なかでも注目を集めているのが「時代劇」。新著『時代劇入門』がベストセラーになり、往年の名作を知り尽くす時代劇研究家・春日太一氏が、時代劇の魅力を存分に味わえる10作品を紹介する。 * * * 時代劇というと『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』といった、ワンパターンの勧善懲悪ものばかり―と思っている方は少なくないかもしれません。 でも、それは大きな誤解。アクションの多彩さ、感情描写の豊かさ、ストーリーの多様さ……時代劇は様々な魅力に富んだ奥深いジャンルです。 そしてなにより、そこに映し出されるのは現代と全く異なる空想の世界。外出自粛で気づまりな毎日、時代劇を観ながら一時だけでも現実を忘れてみてはいかがでしょうか。 今回は、配信や再放送でご自宅でも気軽に楽しめる時代劇作品を、幅広く集めてみました。まずはスケールの大きなアクションを堪能できる作品から紹介していきましょう。◆『隠し砦の三悪人』 黒澤明監督によるエンターテインメント大作です。『スター・ウォーズ』の原点になった作品でもあり、とにかく息をつかせない。 時は戦国時代。城を攻め落とされた姫を守って、敵の包囲網の中を同盟国まで送り届けようとする侍を三船敏郎が演じます。次々と襲い掛かるピンチを切り抜けていくサスペンス、馬を駆使したチェイスシーンと馬上での斬り合い―壮大なアクションに引き込まれます。◆『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』 小池一夫の人気劇画の映画化第6作。毎回、趣向を凝らしたアクションやバイオレンスが展開されていくシリーズですが、中でも本作は凄まじい。 特にラストは雪山での死闘。スキーを駆使して襲い掛かる柳生の忍者軍団に対して、主人公の拝一刀(若山富三郎)は乳母車をソリにして迎え撃つ。乳母車の上に仁王立ちになっての殺陣など、若山の身体を張ったアクションに注目です。◆『魔界転生』 天草の乱の絶望から魔界と手を結んだ天草四郎(沢田研二)が、その妖術により宮本武蔵(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、柳生但馬守(若山富三郎)といった名だたる剣豪たちを仲間に引き入れ、幕府を滅ぼさんとする。そこに千葉真一演じる柳生十兵衛がたったひとりで立ち向かいます。 剣豪版アベンジャーズともいえる面々が勢ぞろいし、壮絶な死闘が展開される。千葉の躍動感あふれる殺陣に対し、若山、緒形は非常に重厚。その激突は手に汗握ります。◆『座頭市物語』 登場人物に感情移入できるのも、時代劇の大きな魅力です。 映画『座頭市物語』は、勝新太郎がその代名詞となるヒーロー・座頭市を演じたシリーズの第一作。盲目の按摩でありながら、居合の腕が凄まじい座頭市がやくざの抗争に巻き込まれていく。 釣りを通じて心を通わせるようになった肺病の浪人は、敵対する組織の用心棒だった―。組織から爪弾きにされた者同士の育む友情と、やがて斬り合わなければならない哀しい宿命が、詩情感あふれる映像の中で表現されていきます。◆『風の中のあいつ』 ショーケンこと萩原健一主演の青春時代劇です。清水次郎長を主人公にした時代劇では悪役として描かれる「黒駒の勝蔵」が主役に据えられ、その若き日のドラマが描かれます。当時の若者のアイコンだった萩原の演じる勝蔵は、決してヒロイックではありません。薄汚い身なり、猫背、うつむきがちな表情。現代劇と同じく、挫折感を背負った青年として演じていました。世間と折り合いをつけて生きられない若者の苛立ちと悲しみが心に響きます。◆『鬼平犯科帳』 盗賊たちを取り締まる火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(中村吉右衛門)やその配下の同心や密偵たちの活躍が描かれます。 ハードボイルドな物語展開も大きな魅力ですが、なんといっても江戸情緒あふれる映像が素晴らしい。特に、エンディングロール。江戸の四季の模様がジプシー・キングスによる哀切なメロディに乗って映し出され、最高の余韻を与えてくれます。厳しさだけでなく、優しさや温かさに包み込まれる作品ですね。◆『女殺油地獄』 元禄時代の大阪が舞台。近松門左衛門の戯曲を原作にした男女の愛欲のドラマで、五社英雄監督の遺作です。 魔性の女・小菊(藤谷美和子)にはまり込んで身を崩していく油屋の若旦那・与兵衛(堤真一)と、その二人に嫉妬して与兵衛を誘惑する年増の人妻・お吉(樋口可南子)の織り成すエロティックな三角関係が、儚い映像美の中で描かれていきます。情欲に囚われた男女による、理屈を超えた心情の機微を樋口、堤、藤谷が見事に演じました。◆『闇の狩人』 江戸の裏社会に生きる人々の人間模様を、哀感とともに描いた池波正太郎原作のドラマです。 記憶喪失の剣客・弥太郎(村上弘明)と、なにかと彼の世話を焼く盗賊・弥平次(蟹江敬三)、弥太郎を殺し屋として使う香具師の元締め・清右衛門(田村高廣)、そして彼らに寄り添う女たち。 陰謀渦巻く殺し屋たちの非情な組織というハードボイルドな乾いた世界が、優しく温かい触れ合いとともに描かれ、孤独な心を抱いた者たちのドラマを際立たせています。◆『黄金の日日』 最後に、大河ドラマの中でも、特に歴史のロマンに浸れる2作品を紹介します。『黄金の日日』は、戦国時代の堺を舞台に、商人を主人公に据えた珍しい作品。堺の若者・助左衛門(六代目市川染五郎、現・二代目松本白鸚)が持ち前のバイタリティでのし上がっていく。実際にフィリピンでロケをした南蛮貿易や海賊との交流など、描かれる世界観の大きさも見どころです。 助左衛門の庇護者からやがて権力の亡者となり立ちはだかる秀吉(緒形拳)や、両者の間で葛藤する石田三成(近藤正臣)、助左衛門に協力しながら秀吉に対抗する石川五右衛門(根津甚八)など、脇のキャラクターも魅力的ですね。◆『武田信玄』 戦国最強の騎馬軍団を率いた甲斐の大名・武田信玄の生涯を描いた名作です。理想に燃える若者、頼りがいのある領主、老練な策略家―と年齢に応じて変わっていく信玄像を20代の若さで演じきった中井貴一が見事。 大河にありがちな気を緩めるようなホームドラマ要素は一切なく、ひたすら合戦と策略、人間の心の闇が描かれる。菅原文太、杉良太郎、西田敏行、平幹二朗ら豪華キャストの配役も完璧です。「時代劇だから」と構えることなく、興味のあるジャンルや好きな俳優の作品から挑戦してください。きっと心に残るシーンに出会えるはずです。※週刊ポスト2020年5月1日号
2020.04.22 16:00
週刊ポスト
【追悼2019】八千草薫さんなど忘れられない女性たち
【追悼2019】八千草薫さんなど忘れられない女性たち
 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。たくさんのファンを魅了し続けた銀幕のスターたち、波瀾万丈の人生を辿った才人──。彼女たちを、われわれは忘れないだろう。(女性編)■八千草薫(女優、享年88) 映画『宮本武蔵』『蝶々夫人』などで人気を博した後、1977年のドラマ『岸辺のアルバム』で演じた不倫妻役で清純派のイメージを覆して話題に。10月24日膵臓がんで没した■京マチ子(女優、享年95) 脚線美と抜群のスタイルで大映の看板女優として活躍。1951年のベネチア映画祭で日本初のグランプリを受賞した映画『羅生門』で好演。5月12日心不全で死去。■木内みどり(女優、享年69) 森田芳光監督の『そろばんずく』、伊丹十三監督の『大病人』などで個性溢れる脇役として活躍。夫は西武百貨店社長、参院議員を務めた水野誠一氏。11月18日急性心臓死で急逝。■市原悦子(女優・声優、享年82) ドラマ『家政婦は見た!』やアニメ『まんが日本昔ばなし』のナレーションなどで独特の存在感を発揮。多くの2時間ドラマに主演し人気を呼んだ。1月12日心不全で死去。■田辺聖子(小説家、享年91) 1964年『感傷旅行』で芥川賞を受賞後、菊池寛賞など多くの文学賞を受賞。2006年NHK朝ドラ『芋たこなんきん』では主人公のモデルにも。6月6日胆管炎で死去。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.16 07:00
週刊ポスト
松井秀喜氏ら勝負師はなぜ宮本武蔵の生き様に惹かれるのか
松井秀喜氏ら勝負師はなぜ宮本武蔵の生き様に惹かれるのか
 各界の成功者たちは、ある共通体験をしている。子供の頃に読んだ本が、その後の人生に大きな影響を与えたというのだ。スポーツ界のレジェンドの原点にも、本との出会いがあった。 日本サッカー協会顧問でメキシコ五輪の得点王の釜本邦茂氏はこう語る。「子供の頃に読む本は時代小説が多かった。中でも記憶にあるのは、野村愛正の『三国志物語』です。これを読んだことで、子供心に“勝負は勝たないといけない”と強く感じた覚えがあります」 日本サッカー史に残る“点取り屋”になれたのも三国志の影響があるという。「無意識のうちに諸葛孔明の戦略と戦術が参考になったかもしれません。サッカーでも情報と分析は重要です。三つ子の魂百までではないが、性格だけでなく知識も頭のどこかに残っている気がします」(同前) 2017年、前人未到の永世七冠を達成し、棋士として初の国民栄誉賞を受賞した将棋の羽生善治氏が10代の頃に夢中で読んだ本は、ノンフィクション作家・沢木耕太郎の『深夜特急』だ。 15歳、中学3年生でプロ棋士となって以降、対局のための「移動」が日常になった。そんな羽生少年の傍らにいつもあったのが、著者がユーラシア大陸をザック一つで横断してイギリスまで旅するノンフィクションの名作だった。〈『深夜特急』は沢木さんならではの表現力によって、見知らぬ国そのものの面白さ、そこに暮らす人々の息吹まで味わえます。それにも増してひかれたのは、1年の3分の1を旅先で過ごす、棋士人生の原点に似たものを感じたからかもしれません〉(朝日新聞2010年4月25日付) 羽生氏のプロ棋士としての旅は、35年以上過ぎた現在も継続中だ。 2013年に当時世界最高齢でのエベレスト登頂を達成し、87歳の今も現役プロスキーヤーの三浦雄一郎氏。少年時代に出会った吉川英治の『宮本武蔵』で描かれる武蔵の生き様が、自身の「原点」になったという。三浦氏が語る。「中学受験に失敗して、浪人生活を送っているときに本を読み始め、そこで影響を受けたのが吉川英治さんの『宮本武蔵』です。同作では武蔵の生い立ちから青春時代、厳しい修行、命を懸けた果し合い、晩年の『五輪書』に取り組んだ姿が克明に描かれていました。 命を懸けて剣の道を究めようという姿は、『スキーで世界の頂点に挑戦しよう』という気持ちのバックボーンになっています。その精神が、エベレストからの滑降や登頂へと僕を駆り立てるのかもしれません」 メジャーリーグで活躍し、数々の大記録を残した元プロ野球選手の松井秀喜氏も、宮本武蔵に影響された一人。武蔵が剣術の極意を著した『五輪書』は、野球のバッティングを究めようと奮闘し続けた松井氏の愛読書としても知られている。※週刊ポスト2019年11月22日号
2019.11.16 11:00
週刊ポスト
215勝を上げた村田兆治氏が孫に読ませたい本は?
村田兆治氏が孫に読ませたい、転んだ時に助けてくれる本
 超難関中学に進学した女優・芦田愛菜(15)が読書愛を語る著書『まなの本棚』が、発売早々ベストセラーに。孫を本好きにしたいと願う祖父母世代が多く買い求めているというが、ではどんな本を孫に読ませればいいのか──。元プロ野球選手の村田兆治氏(69)が勧めるのが、『宮沢賢治詩集』(谷川徹三編)だ。 * * * 広島の田舎町からプロに入り、「強くなりたい」と思って、宮本武蔵の『五輪書』を読んだり、サムエル・ウルマンの『青春の詩』を暗記したりもしましたが、ヒジを故障し、トミー・ジョン手術をした時に頭をよぎったのは、小学校の頃に覚えた宮沢賢治の詩でした。〈雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋(おこ)ラズ/イツモシヅカニワラツテヰル〉 大人になって困難に直面して初めて、子供の時に読んだ詩の意味がわかりました。強い人はたくさんいるけど、思いやりのある人は少ない。勝っても威張らず、天狗になってはいけない。それがわかったから40歳まで現役を続けられたし、今も現役並みの激しいトレーングができる。 島嶼部を回って少年野球を指導し、多くの小学生と触れ合っていますが、小さい頃に読んでもらいたい。人間は躓いた時に物事を深く考える。そういう時に助けとなる言葉が、宮沢賢治の詩にはあると思います。※週刊ポスト2019年8月16・23日号宮沢賢治詩集 (岩波文庫)
2019.08.15 07:00
週刊ポスト
萬屋錦之介 現代の役者が学ぶべき殺陣を支えた技術と哲学
萬屋錦之介 現代の役者が学ぶべき殺陣を支えた技術と哲学
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、今年で二十三回忌となる往年の時代劇スター、萬屋錦之介さんが遺した言葉についてお届けする。 * * * 今回は、インタビューの叶わなかった伝説の名優の言葉を過去の著作から掘り起こしていく。 萬屋錦之介は今年で二十三回忌となる、戦後を代表する時代劇スターだ。 一九五四年に東映の「新諸国物語」シリーズで華々しく登場してアイドル的な人気を博した後、「一心太助」シリーズや『宮本武蔵』五部作などでスターとしても役者としても確固たる評価をされるようになっていく。 その殺陣もまた見事だった。身体能力を活かした躍動感で魅せることもあれば、立ち姿や構えなどの様式の美しさで魅せることもできる。自伝『わが人生悔いなくおごりなく』(東京新聞出版局)で錦之介は、先輩スターたちの特徴を分析しつつ、東映時代に殺陣で意識していたことを次のように振り返っている。「映画の殺陣に最初は戸惑ったのですが、歌舞伎との共通点はあります。いや、基本は歌舞伎にあると言っていいでしょう。 まず足の運び。うまい人は決して無駄足を使いません。それから間(ま)。そのバランスによって立ち回りにリズムが生まれます。ただ速ければ良いというものではありません。 足の運びでは、嵐寛寿郎さんのうまさに感服しました。動きがきれいだし、速い。 刀の重さを感じさせたのは、月形龍之介先生。竹光が本身(真剣)のように見え、重量感がありました。剣だけでなく酒も強く、水のように飲み干す。古武士のような風格でした」 ただ、七〇年代に入ってからの錦之介には変化が見られる。テレビシリーズ『子連れ狼』(七三年、日本テレビ)や映画『柳生一族の陰謀』(七八年)の殺陣は、一刀の重みの伝わる、リアルな迫力を帯びていたのだ。 そこには、自身の中での意識の変化があった。先の自伝本によると、錦之介は東映時代劇の殺陣に対して「本物じゃない」と思うようになる。「刀に重みがなく、軽い」のだ、と。そこで彼は警視庁で居合を教えている達人に弟子入りする。そして、納刀、抜刀、残心といった実際の剣術を会得していった。後年になってからの表現の変化は、まさにそうした精進の賜物だったのだ。だが、一方で、こうも付け加えている。「しかし、本物の剣道と映画の殺陣は、また別物です」 その具体例として五七年の映画『大菩薩峠』でのエピソードを披露している。この時、有名な剣道の先生に特別に指導してもらったのだが、順番にタテ斬りしていくだけ。これでは立ち回りの面白さが出ないと判断した内田吐夢監督は殺陣師を呼び、その剣道の原型を活かしながらアレンジして立ち回りを作ったのだという。そして最後に、錦之介はこう述べて締めている。「剣道の理からいえば完璧なのでしょうが、映画的にはどうも迫力が感じられません」「立ち回りに限りません。リアルなものを、いかに映画的にアレンジするか、その大切さを、改めて勉強いたしました」 昨今の時代劇の殺陣はリアルかド派手かの二極化しつつある。だが、どちらも違うのだ。錦之介から学ぶことは多い。●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中※週刊ポスト2019年7月5日号
2019.06.29 16:00
週刊ポスト
タピオカ入りも登場 過熱する創作系「冷やし麺」ブーム
タピオカ入りも登場 過熱する創作系「冷やし麺」ブーム
 本格的な夏を前に、東京ではラーメン店による「冷やし麺」ブームが過熱している。「冷やし中華」や「冷やしラーメン」といった既存のジャンルでは括れない、新たなスタイルの創作系も続々と誕生。東京の冷やし麺シーンについて、ラーメン評論家の大崎裕史氏が解説する。「冷やし麺は、ラーメン以上に自由な発想で変化にチャレンジできるメニューなんです。店主の遊び心を表現する創作系が増えているのが最近のトレンド。イタリアンやフレンチの影響も見られ、今夏は柑橘類や高級素材を使う店が目立ちますね」 大崎氏によると、昭和初期から冷やしラーメンがあった山形など地方と比べ、東京は20年前まで、「冷やし中華」以外のバリエーションが少なかったという。 約20年前に冷やし麺を夏に提供する先陣を切ったとされるのが1996年創業の『麺屋武蔵』グループ。今夏はタピオカを使うつけ麺で業界を牽引する。「東京の冷やし麺の進化は非常に速い。本格的な夏に向け斬新なメニューが続々と登場すると思います。期間限定が大半なので、店が情報発信するSNSをチェックするとよいでしょう」 宮本武蔵が『五輪書』を執筆したという霊巌洞(れいがんどう)をイメージした『麺屋武蔵 五輪洞』は、「五感で楽しむ」がコンセプト。開店から初めて迎える夏に提供するのは、タピオカがスープにゴロゴロと入る、期間限定の冷やしつけ麺だ。 見た目も驚きだが、風味も斬新。大流行しているタピオカミルクティーをモチーフに、鶏・鰹の濃厚なWスープに豆乳、紅茶の葉を炒めて香り付けした油を入れるこだわりよう。炒めた茶葉はカシューナッツやアーモンド、クルミなどと混ぜて粉末状にし、スープ上に散らす。旨味に香ばしさが加わり、太麺の力強さと互角に渡り合う。具材も目や舌で楽しめる工夫が凝らされている。 高温の油をかけたネギ、ザーサイ、刻みショウガと蒸し鶏の風味が食欲をそそり、漬けたレモンの酸味が爽快さを添える。タピオカを少し残しておくと、最後にアーモンドミルクでスープを割り、ストローで吸う楽しみ方もできる。1日15食限定。6月末まで提供予定だ。【麺屋武蔵 五輪洞】・住所/東京都港区芝5-29-1・営業時間/11時~22時・定休日/日曜日撮影■岩本 朗 取材・文■上田千春※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.12 07:00
週刊ポスト
三浦雄一郎が紹介するエベレストで読み不思議な力が湧いてきた書
三浦雄一郎が紹介するエベレストで読み不思議な力が湧いてきた書
 それぞれのジャンルをリードしてきた著名人たちはどんな本を読んできたのか? プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が、「我が人生の書棚」について語る。 * * * 中学受験に失敗し、1年間浪人生活を送っている間、やることがなかったものですから、いろいろな本を読み始めました。最初に夢中になったのは吉川英治さんの『宮本武蔵』です。その後、世界の偉人伝をたくさん読み、ずいぶん勇気づけられましたね。以来、本が好きになりました。 世界の山に遠征に行くときも、数十冊の本を持っていきます。悪天候が続いて2、3日動けないようなときは、テントの中で本を読むに限りますから。持っていくのは山と関係ない本の方が多いですね。山の本はむしろ都会にいるときに読みます。山で読むのは小説、ドキュメント、エッセーと、ジャンルはさまざま。外は嵐が吹き荒れ、空気も薄いという極限状況の中で、作品の世界に引き込まれ、感動させられる本を読むと、自分の中に不思議な力が湧いてくるのを感じます。 これまでの人生で感動した本をあえて数冊挙げれば、まずサン=テグジュペリの『星の王子さま』。初めて読んだのは高校生か大学生の頃で、普通の童話のつもりで読み始めたら、ものすごく深い内容の物語だということがわかった。たとえば、物語の最後の方で、キツネが王子さまに言う〈ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない〉という言葉には深い真実が込められています。大人のための最高の童話、と言うべきでしょう。イマジネーションが豊かで、表現が楽しいのもいいですね。 同じ作者の『夜間飛行』、『人間の土地』は、世界七大陸最高峰からの滑降に挑戦し始めた30代の頃に初めて読みました。いずれも飛行機を操縦することがまだ命がけの冒険だった頃の話ですが、単なる冒険物語ではなく、人類愛を感じます。サン=テグジュペリの作品は自分の感性を磨いてくれました。 僕がエベレストから滑降したり、エベレストに登頂したりするきっかけとなったのが、1953年に人類で初めてエベレストへの登頂に成功したニュージーランド人エドモンド・ヒラリーによるドキュメント『わがエヴェレスト』です。 登頂の3年後に日本語訳が出てすぐに読みました。当時エベレストに登るのは月と同じくらい遠い世界に行く感覚だったので、登頂成功のニュース自体に興奮しました。そして、彼の本を読んで感動し、「冒険」「人類初」ということに強く憧れ、いつか自分も、という願望を抱いたのです。 それが最初に形になったのが、1966年の富士山での直滑降です。翌年、それに注目したニュージーランド政府から招待され、ヒラリーさんにお会いしました。お宅に飾ってあるエベレストの写真を見て、僕は「ここからスキーで滑ってみたい」と言いました。ヒラリーさんからは「人類は不可能に挑戦し、壁を越えてきた。君には可能性があるのではないか」と言ってもらいました。その夢を実現したのは70年のことでした。 サン=テグジュペリの本とともに、必ずと言っていいくらい山に持っていくのが開高健さんの本です。1950年代の末だったか、開高さんも僕も新聞社が選ぶ「これからの日本人100人」に入るなど若い頃から接点があり、『日本人の遊び場』などのルポルタージュを読んで大ファンになりました。 その開高さんの本の中でもっとも強烈だったのが『ベトナム戦記』。戦争の最前線に飛び込み、自らも生きるか死ぬかの目に遭いながら、蟻の目でつまり地べたを這うようにして世界を見てきた。その圧倒的なリアリティが凄い。イデオロギーを抜きにして人間の本質を見ていた人なのだと思います。開高さんの生き様は励みになりましたね。しかも、「日本語の魔術師」と言いたいくらい表現力が豊かで、独特なのも魅力です。 読書というのは、僕にとっては心と頭脳の最高の運動です。脳みそに汗をかくくらい夢中になって読める本に出合うと、最高の幸せを感じます。【プロフィール】みうら・ゆういちろう/1932年青森県生まれ。クラーク記念国際高校(通信制)校長。北海道大学獣医学部卒業。世界七大陸最高峰からの滑降、70歳、75歳、80歳でのエベレスト登頂などに成功。今年1月21日に南米最高峰アコンカグア(6962m)に登頂し、その後スキーで滑降することを目指す。※SAPIO2019年1・2月号
2019.02.09 07:00
SAPIO
【著者に訊け】東海林さだお氏 『ひとりメシの極意』
【著者に訊け】東海林さだお氏 『ひとりメシの極意』
【著者に訊け】東海林さだお氏/『ひとりメシの極意』/朝日新書/910円+税 笑いにも「人を笑う笑い」と「己を笑う笑い」の2種類あるが、漫画家で名エッセイスト・東海林さだお氏(81)のそれは、もはや己を飄々と笑いつくすダンディズムの境地すら思わせる。 最新エッセイ集『ひとりメシの極意』でも、〈ぼくは居酒屋でいじけるのを趣味にしている〉と書いたかと思えば、かの酒場の達人・太田和彦氏との巻頭対談では〈「みんなが俺をどう見てるか」問題〉を論じる。〈孤高〉に憧れつつ、そう格好よくもいかない小市民的な展開を、むしろ愉しむ風だ。 そもそも氏はおにぎりの〈一口分のゴハンに対する具の適量問題〉など、何でも問題化する大家であり、小さなことに悶々とできるのも、ひとりメシならでは。それにしても、これほど楽しく、食欲をそそられる本書が、よくあるグルメ本と一線を画すのは、なぜ?「情報性がないですからね。特に今は蘊蓄なんてスマホですぐ検索できちゃうし、取るに足らないことしかここには書いてない(笑い)」 週日はここ西荻窪の仕事場に寝泊まりし、週末だけ自宅に帰る生活を、50年来続ける東海林氏。3年前に肝臓癌を患い、酒こそ控えているものの、日々の食事は大抵、ひとりメシだ。「僕ら自由業は会社帰りに軽く一杯ってわけにいかないし、4人集めるにも一々大事になっちゃうんです。太田さんは一人飲みダイジョブ派だからいいけど、普通はみんな『さては友達がいないな』と思われやしないか、オドオドしてますよ。誰も自分のことなんか見てないのにね(笑い)」 1987年以来、実に30年以上続く週刊朝日の人気連載「あれも食いたい これも食いたい」を再構成したこの初新書では、丼物に町中華、〈コの字〉の居酒屋と、庶民の食を専ら扱い、多少贅沢しても鰻や一流ホテルのバーガーどまり。それも〈「帝国ホテルでハンバーガーを」〉と、わざわざ名画に擬えるところに、人目を気にする著者らしいウィットや含羞が窺える。 自炊もしかり。ある時、今や新種に押されつつあるカレーマンが無性に食べたくなった氏は、〈肉マンにカレーパンの具を移植〉する〈世紀の偉業〉に挑むことに。〈まず肉マンの開腹手術をする〉〈次にカレーパンの開腹手術をしてその内臓を取り出す〉〈手術は失敗もなく一分足らずで終わった〉〈口一杯に頬張る〉〈肉マンの具のはずなのにカレーの味がする〉〈この違和感がおいしい〉〈そしてこれは副産物なのだが、“肉マンの具のカレーパン”がすばらしくおいしい〉〈と言っても誰もためさないだろうけどね〉「要するに、好奇心ですよ。好奇心って大人になると薄れてくるでしょ。カレーマンもなければないで普通諦めちゃうけど、こんなの、やろうと思えば誰でもできるんだよね。なのになぜかやらないんだな、みんな。 前にも僕はかっぱえびせんが口に何本入るか、試したことがあって、その後に鏡を見たんです。だって40何本よ。それが口一杯に入った自分の顔を子供なら絶対見たいと思うはずです。そういう童心入り好奇心と、細かい事が気になる天性のいじましさが、僕の場合は商売になってるんです」 例えば新米の季節、〈これだったらおかずなんか要らない〉とタレントが言うのを見て、〈本当に丼一杯のゴハンをおかず無しで食べてやろうじゃないの〉と思い立った東海林氏。が、8口目辺りから〈なーんか欲しいな〉〈なーんかは実物じゃなくてもいいな、たとえば匂いとかサ〉と思い始め、ついに20口目には冷蔵庫から明太子を取り出し、〈三粒だけ。三粒しか食べないから許して〉と誰に請うともなく請いながら、あまりのウマさに身を震わせるのだ。 また、太田氏との対談で〈規則正しい生活をすると規則正しい作品になっちゃう〉と明かす著者は、多くの連載を抱える身であえて日常に変化や破綻を求める、作品至上主義者でもある。「昔食べたのり弁を再現したくて、あの海苔とお醤油が一体となる時間を逆算し、わざわざ朝7時に起きて作ったことも。生活がマンネリ化すると作品もマンネリに陥るという考えなんです。 漫画家は感性がズレたらお終い。〈バター醤油かけごはん〉のダメな作り方をいきなり大滝秀治が文中で叱る描写も、若い人はギリギリわかるかどうか。あの人が〈つまらん。おまえの作り方はつまらんっ〉と青筋立てて怒る面白さが通じない時代についていけなくなることが、僕にとっては病気より怖いことなんです」◆トコトン些事小事をつきつめる性格 街の定食屋が閉店したらしたでチェーン店に新味を見出し、安カツ丼に載ったグリーンピースの〈全回正解〉〈常に正位置〉な配置に木下利玄の短歌〈牡丹花は咲き定まりて静かなり/花の占めたる位置の確かさ〉を思うなど、何事も軽やかに楽しむのが東海林流だ。「確かに慨嘆はしないかな。クヨクヨも前向きに楽しんじゃうし。僕は学生時代、太宰の『畜犬談』とか『黄村先生言行録』とかユーモア小説に凝ったことがあった。そうか、自虐ってユーモアになるんだと気づいてからは、漫画もエッセイも全部自虐です(笑い)」 その黄村先生シリーズに、語り手が宮本武蔵『独行道』に我が身を照らすくだりがあり、〈十二、身一つに美食を好まず〉に擬えた一文は東海林ワールドのルーツを思わせる。〈あながち美食を好むにはあらねど、きょうのおかずは? と一個の男子が、台所に向かって問を発せし事あるを告白す〉「自虐に持ってくと楽なんですよ。それも周りに人がいる中で自分を笑う、客観入りの自虐ならもっといい。結局ユーモアって一つの価値観で、物事をユーモア視点で見るとこうなりますよ、と何でも面白がりたい性格なんです。 それこそ疎開中は風呂敷に弁当の芋を2本くくって藁草履で学校に通った僕は、ごちそうなんて知らないの。その後にパソコンの時代がいきなり来て、食べる物も豊かにはなったけど、外でカレーを食べると必ず発生する〈シル不足〉問題とか、みんなが思ってても受け流しちゃう些事小事をトコトンつきつめる性格は、何も変わってないんです」 その一人の時間がみんなの間にあってこそ、ひとりメシの妙味もまた生まれ、「一人客がわざわざ手帳を見て寂しくない演技をしたりね(笑い)。たぶん一人なのに一人じゃないから、面白いんです」。そんな孤独とも孤高とも全く違う世界を、ぜひ一食一食、読み飛ばさずに堪能したい。【プロフィール】しょうじ・さだお/1937年東京生まれ。早稲田大学露文科中退。在学中から漫画家として活動。1970年『新漫画文学全集』『タンマ君』で文藝春秋漫画賞、1995年『ブタの丸かじり』で講談社エッセイ賞、1997年菊池寛賞、2000年紫綬褒章、2001年『アサッテ君』で日本漫画家協会賞大賞、2011年旭日小綬章。約50年に亘る連載漫画『タンマ君』『サラリーマン専科』やエッセイ『男の分別学』(1980年~)『あれも食いたいこれも食いたい』(1987年~)も人気。170cm、62kg、A型。構成■橋本紀子 撮影■国府田利光※週刊ポスト2018年11月30日号
2018.11.23 07:00
週刊ポスト
柳家小三治が語る繰り返し朗読し、涙を流した本
柳家小三治が語る繰り返し朗読し、涙を流した本
 多趣味であることでも知られる噺家の柳家小三治が、繰り返し朗読し、涙を流した本について語った。 * * * 中学時代、親父の物置の中に表紙のない本があり、立ち読みを始めたら時間が経つのも忘れたことがありました。吉川英治の『宮本武蔵』です。そのうち大佛次郎の『鞍馬天狗』を読むと、映画と違って物静かな男に描かれている。以来、宮本武蔵と鞍馬天狗が生涯の先生になりました。何があっても自分の道を究めていく宮本武蔵が生き方の手本になり、鞍馬天狗が持つ品格に憧れたんです。 大人になって大分経ってから大佛次郎の史伝を読みます。『ドレフュス事件』(フランス第三共和政時代のスパイ事件を描いた作品)、『パリ燃ゆ』(パリ・コミューンを描いた作品)、そして『天皇の世紀』【1】(明治天皇の誕生から戊辰戦争までを描いた作品)。『天皇の世紀』は60歳近くなってからですが、これほど私の人生に大きな影響を与えた本はなかったなあ。読んでいる最中から「歴史って凄いな」と思わされましたよ。 第1巻の最初の数十ページは事件らしい事件は何も起こらず、京都御所の様子や朝起きてからの天皇の日常生活が事細かく書かれている。退屈極まりない。でも、肝臓が焼けただれるような我慢をしてそこを読むと、天皇には何の実権もなく、武家が天皇の名を借りて勝手なことをやってきたんだなと、歴史の背景を理解できます。だからこそ、そのあとの黒船来航から始まる展開が面白く読めました。もうひとつ、この本で重要なことを知りました。 幕末、困窮を極めた南部藩の農民が3万人近く、田畑を捨て、村を捨て、国を捨て隣りの仙台藩に逃げる大規模な百姓一揆が起こっていた。実はこっちの方が大きな事件で、黒船来航がなくても幕藩体制は倒れ、開国せざるを得なかったと大佛次郎は言うんです。この作品を読んでからですよ、日本の歴史をもう一度見直そうという気になったのは。 もう1冊、今も感動を忘れられない本が『日日是好日』【2】。作者の森下典子さんが20歳のときから25年間、ある先生にお茶を習った体験談です。作者とご縁があって送っていただいたんですが、もう「まえがき」から感動しました。ひと言で言うと、これはお茶の本であってお茶の本ではない。究極的には人生の本です。実は落語の本としても読めるし、実際そのように読んだこともあります。それほどお茶を通して生きることの真実が描かれている。さらにこの本が素晴らしいのは、人を感動させてやろうとか、驚かせてやろうとか、そういう策略に基づいた書き方をしていないところです。 それは落語にも通じることで、私は若い頃、師匠(5代目柳家小さん)から「笑わせるところで笑わせるな」と怒られました。「お前みたいに噺の途中の面白いところでいちいち笑わせようとしたら、噺が噺じゃなくなっちゃう」と。困ったことに、「笑点」が流行っちゃって、落語は「笑点」の延長で、ただの笑い話みたいに思う人が増えてしまった。でも、違うんです。 落語との関係で忘れられないのが国木田独歩の「忘れえぬ人々」【3】という短編小説。主人公が旅の途中で出会った無名の人々について語るという内容で、これを高校の国語の授業で朗読させられました。読み始めた途端、自分がその世界に入っていくのを感じました。先生も級友も黙って聞いていて、他の生徒に交代せず、ずっと私が読み続けました。あのとき落語に通じる「間」というものを学んだんです。 たまに私は、自分の独演会を「朗読の日」にしてしまうことがあります。よく読んできたのは「忘れえぬ人々」、『日日是好日』、宮沢賢治の童話「虔十公園林」、そして尾股惣司さんの『鳶職のうた』【4】。これは戦後の八王子にまだ残っていた「義理と人情とやせ我慢」の職人の世界を職人自身が描いたエッセーで、40年以上前、NHKラジオの朗読番組でディレクターから渡されて朗読しました。 人の優しさがひしひしと伝わってきて、読み始めたら涙が止まらなくなっちゃった。ちぎって投げるような飾り気のない文章もいいんです。私は初めて自分の落語のレコード集を出したとき、この本を朗読した1枚も加えることを条件に了承しました。それくらい大事な本ですよ。【1】『天皇の世紀』大佛次郎、1969年~1974年 文春文庫、全12巻 各巻本体752円~857円+税【2】『日日是好日』森下典子、2002年 新潮文庫、本体550円+税【3】「忘れえぬ人々」国木田独歩、1898年 新潮文庫『武蔵野』所収 本体520円+税【4】『鳶職のうた』尾股惣司、1974年 丸ノ内出版、中古価格※書籍データ中の刊行年は最初の単行本のもの。版元と価格は現在入手できるおもな版のもの。●やなぎや・こさんじ/1939年東京都生まれ。高校卒業後、5代目柳家小さんに入門。1969年17人抜きで真打昇進、10代目柳家小三治襲名。2014年重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。9月27日『十代目柳家小三治』(別冊太陽編集部編)が発売される。※SAPIO2018年9・10月号
2018.10.13 07:00
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【著者に訊け】出久根達郎氏 『漱石センセと私』
【著者に訊け】出久根達郎氏 『漱石センセと私』
【著者に訊け】出久根達郎氏/『漱石センセと私』/潮出版社/1500円+税 ことばの機微は、人生の機微──。出久根達郎氏の新作小説『漱石センセと私』は、自身、古書店店主でもあった著者の言葉に対する愛や矜持さえ感じさせる。「店は10年前に畳みましたが、今は言葉がいよいよ貧しく、空疎な時代になっています。例えば岡本綺堂の時代物などを読むと、『今朝は冷えるね』『冴え返るようでございます』なんて洒落た返しを庶民がしていてね。生活は貧しくとも、文化の面では今よりずっと豊饒な時代に、憧れがあるんです」「センセ」とは、かの夏目漱石。「私」は、漱石の松山中学赴任時代の下宿先の孫娘で、俳人、歌人の久保より江を示す。本書では彼女の半生を軸に、漱石や子規など、名だたる文士の横顔や交流を描く。『吾輩は猫である』の雪江のモデルで、鏡子夫人との親交でも知られるより江も、文学史的には若干の記録が残るだけで、評伝の類もないとか。そのわずか数行の記述から生まれた本作では、人と人を言葉が繋ぎ、時と共に消えゆく言葉を集める行為が、恋すらも生んだ。「まず、より江に関しては、私と同郷の長塚節(たかし)が彼女に宛てた手紙が全集に収録されていますし、節は清僧のようであったという彼女の追悼文が、藤沢周平に『小説長塚節 白き瓶』を書かせたという事実もあります。 一方彼女の夫・久保猪之吉は、東京帝大を卒業後、ドイツ留学を経て福岡医大(現・九大医学部)初の耳鼻咽喉科教授を務めた人物。しかも実は明治31年刊行の国語辞典『ことばの泉』にも関与していたと知った時点で、この小説はもう完成したも同然でした。編纂者の落合直文は彼の一高での恩師という縁もあり、猪之吉が医学用語を監修したのでしょう。 その猪之吉とより江が夫婦なら、漱石、鏡子、子規や言葉についての話も書ける。より江の家族関係や記録にない部分は全て私の創作です。でも吉川英治が漢文二百字しか残っていない記録から傑作『宮本武蔵』を創作したように、巧みな想像と上手につきあうのも私は豊かさの一つの要素だと思うのです」 まず一章「いっぷり」は漱石とは一高以来の親友で、ここ上野家の新しい下宿人となった正岡升=子規との黒猫を巡る会話で始まる。より江は幼い頃から動物の言葉がわかる少女で、そんな彼女に俳句を勧めてくれたのも、升だった。 明治28年春、松山に赴任した漱石の2つ目の下宿が『坊っちゃん』の萩野家のモデルでもある上野家だ。より江は母親が病身のため祖母のいる上野家に預けられ、特に升がいた2か月は彼の俳句仲間に囲まれて育つ。また祖母曰くいっぷり=変人の漱石はこの頃、東京の官吏の娘と見合いをし、相手の写真に見惚れる彼を升とからかったものだ。が、ほどなく升は結核の治療で上京。漱石も熊本・五高への転任が決まり、より江はセンセを港まで見送った。〈その時だった。センセの足元から黒猫が姿を現わし、より江に手を振った。より江はあっと叫び、猫を呼ぼうとした。呼ぼうとしたが、猫には名前が無い〉……。 こうして猫共々(?)下宿を去った漱石と彼女は便りを交わし、ついに夏休みに祖父と熊本を訪れることに。が、手土産を探しに行った「古書肆 舒文堂(こしょし じょぶんどう)」では、チョンマゲ姿を貫く店主と祖父が喧嘩になりかけたり、寺田寅彦なる五高生に後を付けられたり。挙句、腹痛で倒れた祖父は卒業旅行中の一高生一行に腸チフスと診断され入院。幸い誤診で済んだが、この診断をした張本人が仲間に〈ドクトル〉と呼ばれる猪之吉だった。 早合点を詫びる猪之吉と高等女学校入学を目指すより江はいつしか文通を始める。医学部に学ぶ傍らで恩師の辞典編纂も手伝う彼のために、彼女は祖母世代しか使わない古い表現や珍しい方言を書き送るようになる。〈より江にはラブレターのようなものであった〉〈美しい言葉だと久保にほめられると、自分が美しいと賞讃されたように、天にも昇る心地だ〉「むろんここも私の創作で、手紙だけが通信手段だった時代らしい恋愛ですよね。 とにかく『ことばの泉』が素晴らしいのは、俗語や方言にも目を向けたこと。明治というのは藩ごとにバラバラだった日本語を国語として作り直した時代でしょ。そんな中央集権的な動きと、周縁の言葉に着目する動きが両方あったのがまず面白い。『広辞苑』の新村出や西洋の概念を輸入翻訳した漱石たちとも全く方向性が違う。そうした視点を日本に居ながら持ち得た落合は一種の天才ですし、そこに猪之吉だけでなく妻も関わらせたらどうかと、妄想を膨らませてみました」◆元古本屋だから書けたシーンも 自身は集団就職で上京し、月島の古書店の小僧や番頭修業を経て独立。小学生の頃に移動図書館で借りた全集をルビ付きで読み、「漱石って面白い!」と感激して以来のファンだという氏の仕事場には漱石自筆の書簡も飾られ、「元古本屋だから書けることもある」という。「例えば舒文堂で猪之吉が目を付けた本を寺田寅彦に先に買われちゃうシーンは私もよく見かけた光景です。本、特に古本というのは人と人を結び付けるもので、単なる品物じゃないんだね。 漱石の手紙も今は『一行3万円』で取引されていて、年々相場が上がっている。一方鏡子夫人の文章も筆跡、エスプリ共に夫そっくりで、いかにもタダモノではないのですが、文豪の妻の手紙は値段がつかないから捨てられてしまうんです。でもあの神経質な夫に添い遂げ、あれだけの作品を書かせた功績を評価しないのは絶対おかしいし、鏡子は決して弟子たちが言うような悪妻ではなかったと私は思う。 より江との関係にしても、鏡子の手記に1ページほど記述があるだけなのですが、より江が漱石宅へ行く時は妙な噂を立てられないよう女学生の格好で行ったとか、面白い話も結構あってね。男社会で神格化され、今では手紙の相場まである漱石を一個人に引き戻し、人と人を本が繋ぎ、言葉が繋いだ豊かな時代を、私は最も書きたかったんです」 女学生姿で颯爽と自転車に跨るより江は泉鏡花作品のモデルになるほどの美形で、夫の留学資金を貯めるべく自分も働こうとしたり、福岡時代は柳原白蓮と交流するなど、近代女性らしい凛とした姿が目に浮かぶ。 そして何より彼女が書き送り、愛をこめて収集した言葉たちの美しいこと! 丁寧に言葉を尽くし、思いを尽くした時代に、しばし時間旅行するような1冊である。【プロフィール】でくね・たつろう/1944年茨城県生まれ。中学卒業後、月島の古書店に弟子入りし、1973年高円寺で芳雅堂を開業。自ら解説を載せた古書目録「書宴」による通信販売も始め、「その巻末文をある編集者が読んで本にしてくれたのが、1985年のデビュー作『古本綺譚』です」。1992年『本のお口汚しですが』で講談社エッセイ賞、1993年『佃島ふたり書房』で直木賞、2015年『短篇集 半分コ』で芸術選奨文部科学大臣賞。現在日本文藝家協会理事長。165cm、70kg、A型。■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光※週刊ポスト2018年8月3日号
2018.07.27 07:00
週刊ポスト
宮本武蔵の巌流島の決闘、最後は集団リンチに終わった?
宮本武蔵の巌流島の決闘、最後は集団リンチに終わった?
 剣豪同士の決闘として名高い「巌流島の決闘」といえば、宮本武蔵と佐々木小次郎が一対一で相対している場面を思い浮かべることだろう。ところが実際には、勝利した宮本武蔵側が、卑怯な手段で佐々木小次郎を絶命させていたという。『ざんねんな日本史』(小学館新書)を上梓した歴史作家の島崎晋氏が、その知られざる顔を紹介する。 * * * 巌流島は、関門海峡に浮かぶ小さな無人島でありながら、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行なった場所として知られている。 宮本武蔵は生涯に六〇余度の立ち合いをしながら、一度も負けたことのない天才武芸者。対する佐々木小次郎は豊前国小倉で兵法と剣術を教えていた人物で、長い大太刀を愛用した。 一般に流布する話では、武蔵は小次郎から平常心を奪おうと約束の時間よりかなり遅れて登場し、武器には舟の櫓を削った、小次郎の大太刀より長い木刀を用い、わずか一撃で小次郎を絶命させた、という。 だが、これには後世の創作がかなり入っており、武蔵の養子となった宮本伊織が残した文書には、武蔵は遅刻などしておらず、巌流島には小次郎と同時刻に到着したと記されている。 さらに注目すべきは、小倉藩の家老で門司城代(城主の代理)でもあった沼田延元の家人が著わした『沼田家記』という記録である。 これによれば、小次郎は一対一の勝負という約定を守り、単身で来ていたが、武蔵の側では数人の弟子がひそかに島に渡り、物陰から決闘の様子を注視していた。武蔵は小次郎の命まで奪いはしなかったが、武蔵の弟子たちは蘇生した小次郎にわっと襲いかかり、とどめを刺した。それを知った小次郎の弟子たちが仇を討とうと大挙して島へ渡ったところ、武蔵は門司城に逃げ込み、沼田延元に身柄の保護を求めて助かったという。 剣豪同士の決闘が、最後は集団リンチに終わってしまったというのだが、果たして真相や如何に。※SAPIO2018年5・6月号
2018.06.16 07:00
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中条きよし 歌は長続きすると思えず、役者をやりたかった
中条きよし 歌は長続きすると思えず、役者をやりたかった
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、歌手としてまず世間に認められ、その後、役者に進出した中条きよし。新曲『煙がめにしみる』が発売中の中条が語った、本当は芝居をしたかった駆け出しの頃について話した言葉を紹介する。 * * * 中条きよしといえば、1974年に歌謡曲「うそ」が大ヒットしてから役者にも進出していった経歴の持ち主だ。が、実は元々は役者志望だったという。「小学生時代から僕は自分で音痴だと思っていましたから、歌を歌うようになるなんて思ったこともなかったんですよ。 当時は映画俳優になりたいと思っていました。映画館に行けば東映時代劇ばかりの時代で、憧れましたね。東映の太秦の撮影所に見学に行くこともありました。ちょうど中村錦之助さんの『宮本武蔵』の撮影中で、高倉健さんが佐々木小次郎をやっていた時でした。 これは別の映画の撮影を見学した時なのですが。ある役者さんを実際に近くで見ていると、そんなにお上手なように見えないんです。それを見ながら『俺もがんばったらできるんじゃないか』って。そういうのが、一つのきっかけでした。 小学校五年くらいの時に岐阜の劇団に入りました。名古屋のテレビで活躍されていた方のやっていた劇団で。中学になってからは演劇部に入りました」 その後、役者としての生活を始めるが、世に出たのは歌手としてだった。「食うためですね。大阪で劇団に入っていたのですが、売れなくて。十九歳ぐらいの頃、ある歌謡ショーで前歌の誰かが急に病気かなにかで出られなくなったようで、僕が行くと事務所の上の人が『歌を歌えない? 明日』って言うんです。『いえ、歌えません』って答えたら『二曲でいいから』って。その日のうちにレコード買いに行って、徹夜で覚えました。 とりあえず出番が終わって楽屋に戻ったら、知らないおじさんが来て『酷かったね』って。ただ、その人が『君、歌は酷いけど舞台映えするから、もしよかったらウチでアルバイトで歌ってみない』と言うんです。 最初はその二曲から始まって、レッスンに毎日通って曲を増やして。出演料は高くはなかったですが、家賃は払えました」「うそ」の大ヒット以降はテレビドラマに次々と出演、舞台では座長公演も務めるようになる。「最初は歌手でも全然売れなかったのですが、『全日本歌謡選手権』に出て、『うそ』が売れて。でも、いろんな人を見ていると歌はそんなに人気が長続きするとは思えませんでした。せいぜい二、三年だろう、と。できれば役者をやりたいという思いが根っこにありました。 それでテレビドラマに出て舞台もやるようになるのですが、今度は歌い手であることが邪魔になるんです。『歌手芝居』とよくいうのですが、歌手の舞台は歌謡ショーとの二本立てですよね。そうなると、どうしてもショーに重きが置かれる。下手な芝居だけど、お客さんは次のショーを観たいから我慢する。 僕はそれが凄く嫌で、芝居に重きを置きたかった。でも劇場は『芝居は短くして』という。それでも、僕はどうしてもいい芝居をしたかった。お客さんが泣いたり笑ったりしてくれるような。ですから、他の歌い手さんと違う芝居を一生懸命にしてきた自負はあります」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。■撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2017年11月17日号
2017.11.12 16:00
週刊ポスト
81歳の巨匠・横尾忠則氏「絵も人生も大事なのはプロセス」
81歳の巨匠・横尾忠則氏「絵も人生も大事なのはプロセス」
「最近は週刊誌が愛読書です。どの記事も因果応報、自業自得で仏教書として面白い。そうそう、『週刊ポスト』の健康ネタもスクラップしてありますよ」 美術家・横尾忠則。1960年代から世界を舞台に活動を続け、81歳になった今も、朝から夕方までキャンバスに向かう。横尾の鮮やかな色使いと独特の感性は世界中で評価されているが、絵を描き始めた当初は「デッサンがなっていない」「色彩がおかしい」と酷評されたこともあった。横尾は「今振り返るとその通りだよ」と笑う。「絵の評価は人が決めるものだと思っています。人の数だけ違う意見が出て当然ですよ」 二・二六事件が起き、日本が戦争に向かう1936年、横尾は兵庫県の田舎町である西脇町(現・西脇市)に生まれた。幼少の頃から絵がずば抜けて上手く、5歳にして絵本『宮本武蔵』の《巌流島の決闘》を完璧に模写した。高校に入ると西脇市が主催するポスターコンクールに見事入選。美術教師の勧めで始めた油絵も、県主催の絵画展に相次いで入選した。しかし横尾は、「絵を仕事にするとは夢にも思わず、郵便局に勤めながら絵を描こうと思っていた」と当時を振り返る。 高校卒業後はグラフィックデザイナーとして神戸新聞社に入社し、デザインの仕事に没頭する。やがて画廊で個展を開くようになった横尾は、絵を気に入った文豪・三島由紀夫に飾っていた絵を贈る。これを機に2人の距離は縮まり、三島の本の装丁を手掛けるようになって仕事も増え、次第に認められるようになった。 その後、横尾は24歳で上京し、映画や芝居のグラフィックデザインを担当。アングラ劇場などの斬新なポスターを次々に手掛けていく。 この時代の横尾の絵画の代表作のひとつが、『ピンク・ガールズ』シリーズだ。1966年、東京・京橋の画廊で個展を開催するにあたり、たった1か月で19点もの作品を描き上げた。ピンク色の肌をした女性たちがパンティに手を入れ自慰にふけり、ひげを剃り、オートバイに乗る──これら既存の型にはまらない作品は三島由紀夫をして「無礼な芸術」と言わしめた。 翌年、劇作家・寺山修司が結成した劇団「天井桟敷」に美術担当として参加。この頃から横尾の名は全国に知られるようになる。当時人気だった週刊誌『平凡パンチ』に毎週のように登場し、レストランで“食レポ”する依頼もあった。◆アメリカで衝撃を受ける「こんなことをやっていたら世俗的になってしまう。東京から逃げないと駄目だと思って、ニューヨークに行きました」 初めてアメリカを訪れた1967年は、ベトナム戦争の激化に伴い反戦ムードが高まっていた。既成概念や体制からの解放を目指すヒッピーが幻覚剤のLSDなどを利用。ロック・ミュージックを中心に研ぎ澄まされた感覚で次々と新しい若者文化を形成し、ビートルズが『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』を発表したのもこの頃だった。「アメリカはサイケデリックムーブメントの真っただ中だけど、そんな情報は日本に入ってこなかったので、もうびっくりしました」 衝撃を受けた横尾は、当初10日間の予定を延長し、ニューヨークに4か月も滞在。友人の紹介で、アンディ・ウォーホルの工房も訪ねた。「当時のアメリカはポップアートの全盛期。街のポスターショップには、マリリン・モンローやクラーク・ゲーブルといった往年のハリウッドスターやビートルズとともに、ウォーホルのポートレイトなどが並んでいた。僕の作品を気に入ってくれていることは会う前に知っていたけれど、そんな伝説の人に会うわけだから緊張しましたね」 滞在中は朝から夜まで街を歩き回った。そして、アメリカ美術の巨匠のジャスパー・ジョーンズの紹介でジョン・レノンとオノ・ヨーコとも交流を深めていく。 ある日、横尾のポスターを何度も購入してくれていたニューヨークの画廊に電話すると、オーナーが「明日、うちの画廊であなたの展覧会を予定している」と言う。「そんな偶然があるのかと思い、すぐに行ってみると、展覧会の飾りつけをしている最中でした。その時のポスター10数点を、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が1点100ドルで全部買い上げてくれました。当時、ウォーホルの『マリリン・モンロー』の値段(100ドル)と同じだったので驚きました」 横尾の作品は国内より先に、ポップアート全盛期のアメリカで高く評価された。活躍の場は世界に広がり、翌年、青竹に吊るされた女性を表現した『責場』3作品でパリ青年ビエンナーレ版画部門グランプリを獲得した。1972年にはMoMAで、現存するグラフィックデザイナーとして初の個展を開く。その後、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞を受賞するなど数々の賞に入選、世界各地で展覧会を開いた。◆「デザインは仕事、アートは人生」 1980年、45歳になった横尾は、MoMAで開催されていた「ピカソ展」に衝撃を受け、その場で画家になる決意をした。のちに「画家宣言」といわれる出来事である。「ピカソの絵を一点一点見ているうちに、絵画でないと本領が発揮できないと思いました。僕はデザイナーとしてクライアントの言うことに従っていたけれど、自分自身に忠実かというとそうではなかった。やはり、絵画でないと自分の思いの丈は表現できません」 展覧会場を出るとすぐに本屋に行き、画集を大量に購入した。「グラフィックデザイナーとしての作品も仲間も、ものすごいスピードですーっと頭の中から消えていきましたね。そこではっきりと、デザインの仕事から足を洗う自信が生まれました」 既にデザイン界で確固たる地位を確立していた横尾だが、「絵画とデザインは180度違う」と語る。「デザインで学んだことは絵画の世界では通用しません。絵画には過去何百年という歴史がある。中世からルネッサンスや印象派、シュールレアリスムなどを経て今があります。ただ描けばいいのではなく、過去のスタイルやテーマ、表現法などあらゆる知識が必要です。美術学校に行っていないから、画集で学ぶしかありませんでした」 絵画に転向した横尾は、「滝」や「Y字路」を描いた作品など、様々なテーマの作品を制作していく。 5年前、76歳になった横尾は横尾忠則現代美術館(神戸市)を開館すると、翌年、香川県に豊島横尾館を開館。2015年には高松宮殿下記念世界文化賞絵画部門を受賞した。今も世界中で展覧会が開かれ、直近では十和田市現代美術館で「横尾忠則 十和田ロマン展 POP IT ALL」(~9月24日)が開催中だ。「デザインは仕事、アートは人生」と語る横尾。80歳を超えた今も創作意欲が衰えることはない。「昔に比べて描ける作品も少ないけれど、体力と相談しながら制作しています」 そんな横尾の作品はすべて「未完」で知られる。「ぼくは飽き性だから、早く描いて途中で手放してしまう(笑い)。目の前の作品にこだわるより、新しい作品を次々と作れば先にもっといい作品が待っている気がします。それに、絵も人生も大事なのはプロセス。終わらないからこそ面白いんです」(文中敬称略)◆取材・文/戸田梨恵※週刊ポスト2017年9月22日号
2017.09.13 07:00
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人気沸騰の講談師・神田松之丞「ストロングスタイルが一番」
人気沸騰の講談師・神田松之丞「ストロングスタイルが一番」
 まるで高座のハリー・ポッターである。神田松之丞が演目を読み始めると、凪のように静かだった客席が魔法にかかったようにザワザワとし、場内の空気が揺れ始める。大きな所作とよく通る声で徐々にテンポを上げ、張り扇を調子よくパパーンと叩く。膝を立て、汗を飛ばして盛り上げ、客の腰を浮かせる。「なっ、なんとぉ~お時間になってしまいましたぁ~」 さぁ、これからという時、スパッと話を切る。いきなりの喪失感とそれまでの充実感が混ざり、客は興味をより膨らませる。そうして初見の客を虜にしてしまうのだ。「初見のインパクトが大きいんでしょうが、僕もそこでお客様を絶対に逃さないです」(松之丞、以下同)「お客様は神様です」と言ったのは浪曲出身の歌手・三波春夫だが、松之丞も芸さえ精進すればいいという甘えを排除し、「絶対にお客様を置いていかない」ポリシーを持つ。そうして今や講談界で客を呼べる史上最強の二ツ目に成長した。◆入門を決意した神田松鯉という奇跡 松之丞が演芸に興味を持ったのは、高校2年の時だった。ラジオで六代目三遊亭円生の『御神酒徳利』を聴いて感動し、のちに立川談志の『らくだ』を聴いて鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。談志が講談から影響を受けたことを知ると講談のCDを聴き、スケジュール帳が真っ黒になるほど寄席に通った。するとあることに気づいたという。「寄席に行くと改めて講談は凄いなと思うんです。でも、生意気ですが、この演者たいしたことないな、面白くねーって思うことも多くて。初めての観客が多いのになぜつかみで面白い話をしないのか。ここをちょっと分かりやすくするだけでも客の反応が変わるし、自分ならこうするのにと思っていました」 とはいえ、大学生の松之丞には何の手立てもない。入門後を見据えて、客席で講談師に必要なことを吸収していった。「その時、大事だなって思ったのは、客席から舞台を見てお客様の気持ちを理解すること。プロになると客席から見られないので、それを自分の中に叩き込みました。ドラクエでいうとレベル100にして満を持しての入門でしたね。 ただ、入門先はシビアに判断しました。僕は自分がやりたいようにやりたかった。普通、入門してそんなことすると潰されるんです。でも、僕が入門した神田松鯉師匠は自由にやりながら高レベルの芸能をして、人格者と言われていた。僕が講談の世界に入ったのは、松鯉師匠に出会えた奇跡があったからです」 入門してから10年、古典の「連続物」が真骨頂だが持ちネタは130席になった。十八番の1軍(40本)、2軍(50本)、3軍(30本)に分けて頭の中で管理している。「芝居の方は終わったら台詞を忘れるようですが、講談は積み重ねていくイメージ。一度覚えたものは、時間はかかるけど頭から全部取り出せます」 古典物は今の客に分かりやすいように脚色する。新たな魂が吹き込まれた演目を松之丞は釈台が濡れるほど汗を飛ばし、読む。その姿は客と真剣勝負するアスリートのように見える。「講談って体力やキレが必要でアスリートの面が多々あるんです。でも、今の体重が91kg。入門時から16kg増え、太っているから汗かいてんじゃねぇかって言われる。高座で啖呵を切る時、息切れするとマズいし、足が痺れる。講談に支障が出ないようにと1時間走っていますが、理想の体重(80kg)に落とさないとヤバイですね」◆講談はシンプルな話芸ストロングスタイルが一番 松之丞が真打ちになるには、まだ5、6年かかるが、その間にすべきことは見えている。「真打ち昇進は、できれば歌舞伎座でやりたいですね。師匠が歌舞伎出身なので最高の親孝行になる。ただ、それまでにやるべきことがまだまだあります。講談外の世界からお客様を引っ張ってくる。下の世代が食えるようにする。講談師を増やす。今、講談師は全国に80人しかおらず、下に才能のあるヤツがいないと業界が沈んでしまう。講談の危機を叫び続けていきます」 講談の普及でいえば、今、日本に多くの外国人が訪れている。歌舞伎のように、講談が彼ら向けの会を開いたり、海外公演をする可能性はあるのだろうか。「今は難しい。インフラが整っていない村で、ロケットを打ち上げる感じですもん。外国人を喜ばせるのは、歌舞伎もそうですが演出なんです。講談の持つ言葉の間、微妙な『てにをは』の違いを喜んでいただく芸が通じないと思うので演出に頼るしかない。それじゃ講談から離れてしまう。講談はシンプルに削いだ究極の話芸で、それが醍醐味。そこは大事にしたいですね」 だからといって一切の演出を拒んでいるわけではない。例えば武道館で講談を読むとなれば、その演出を考えるという。「講談は自由なので、巌流島にステージを作って、宮本武蔵を読んでもいいんです。そこにはアントニオ猪木とマサ斎藤が試合をした碑がありますが、松之丞がここで読みましたという碑が立つだけで意味がある。そういうのがあってもいいけど、やはりシンプルな素噺(すばなし)が講談の原点。ストロングスタイルが一番面白いんです(笑い)」 独演会のチケットは完売になり、寄席に多くの客が訪れる。松之丞がこれほど客の心をつかんで離さないのは、なぜか──。「いかに客を楽しませるか」という粋な心意気で、「講談って楽しいだろ。面白いだろ」と客の心を打ち続けるからだ。客席目線を研鑽したあの4年間の経験が、今も松之丞の体の中に生きているのである。■取材・文/佐藤俊※週刊ポスト2017年9月15日号
2017.09.09 07:00
週刊ポスト
日本語リズム心地よい講談、今や女性講談師が男性より多数に
日本語リズム心地よい講談、今や女性講談師が男性より多数に
「講談師、冬は義士、夏はおばけで飯を食い」──講談の世界でよくそう言われるように、講談は四季を通じて楽しめる伝統芸能だ。講談は宝永年間、五代将軍徳川綱吉の時代に常設小屋で上演され、講釈と呼ばれるようになり、江戸末期から明治時代にかけて全盛期を迎えた。◆軍記、お家騒動、怪談、任侠……演目は多彩 その時代、講談からは、大岡越前、柳生十兵衛、清水次郎長など多くのスターが生まれた。テレビドラマでお馴染みの『水戸黄門』は、幕末の講談『水戸黄門漫遊記』を明治時代に玉田玉智が「助さん角さん」のスタイルに作り直して誕生した。「講談の面白さは、日本語のリズムの心地良さです」 こう語るのは、長い口髭で有名な故・田辺一鶴を師匠とする田辺銀冶だ。持ちネタは長州ファイブの冒険を描く『英國密航』、新作の『連続講談・古事記伝』など約100席ほどある。 講談の演目ジャンルは軍記物、御記録物、世話物と大きく3つに分けられる。軍記物は合戦の話で『三方ケ原戦記』が代表的だ。御記録物は『赤穂義士伝』など、世話物は幅が広く、怪談、侠客に加え、『宮本武蔵』などの武芸も含まれる。 ネタは史実に基づいて構成されており話は長く、元来は何日もかけて演じられたが、現在は一場面だけ抜き出して上演するのが一般的。一方、一席で完結する端物や、講談師が創る新作もある。前述の田辺一鶴は、新作『東京オリンピック』で一躍有名になった。 講談師は、舞台に出ると小さな机である釈台の前に座り、張り扇を右手に持ってストーリーテラーに徹する。釈台があるのは昔、台本を置いていた名残。ト書、つまり説明文で物語を進行するので、講談は「演ずる」のではなく「読む」と表現される。 一席は20~30分程度。声の強弱と早い調子でたたみかけ、張り扇で釈台をパパンッと叩きながら物語を盛り上げる。特に戦いの場面では「修羅場読み」と言われる調子で情景をリアルに想像させる。◆真打ちまで約15年 近年は女性講談師が増加 講談は芸の世界ゆえに厳しい社会でもある。前座見習い3か月、前座4年、二ツ目10年、その後、講談協会の審査を得て、真打ちになる。常設の寄席である定席では、二ツ目が一番気を遣う。前座と演目がかぶってはいけないし、トリに師匠がいる場合、義士伝や怪談など大ネタを掛けることはできない。「ネタをその場で探す力が求められる」と銀冶は語る。 長く男性話芸だったが、現在は女性講談師が男性より多い。女性に合った演目が作られ、女性客が増えるなど、講談界も様変わりしてきている。■取材・文/佐藤俊※週刊ポスト2017年9月15日号
2017.09.05 11:00
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