もっとも、この質問は消去法で決めたわけでもなかった。私は1995年の春、北朝鮮・平壌のホテルで偶然、彼を見かけている。そのときから自分とほぼ同い年の彼に興味を持ち、「この人は、どのような世界観を語るのだろうか」と考えていたのだ。
マレーシア入りして数日後、私は正男氏と接触することができた。彼が滞在していたのはクアラルンプールの長期滞在者用レジデンス。一泊1万5000円ほどだったから「超高級」というわけでもない。Tシャツ、短パン姿の軽装で、護衛はついていなかった。
路上で立ち話をしながら懸命に口説いたが、彼は「もういかなる言論社(メディア)、言論人とも接触しない」として、取材を頑なに拒んだ。彼が本国の権力世襲を批判した内容を含む日本の書籍から、相当なダメージを受けたようだ。
それでも、私の熱意は汲んでくれたようだった。私は、自分がかつて北朝鮮を支持する民族団体に所属し、その後に立場を変え、北朝鮮の民主化を志向するに至った経緯を綴った手紙を彼に渡した。すると、カカオトークで次のようなメッセージが届いた。
「手紙を確かに受け取りました。あまりに率直な内容に感銘が深いです。皆が、所信に従って自分の人生を生きるのが基本だと思います。李策さんの手紙に共感します」
これ以降のカカオトークでのやり取りでは、私も突っ込んだ質問を避け、時候の挨拶を交わすのがほとんどになった。それでもいずれ打ち解けて、北朝鮮の未来について話し合ってみたいとの思いは捨てなかった。
それがかなわなくなったことが、無念でならない。
※SAPIO2017年4月号