「酋」は、集団のおさ、かしら、傑出した者、という意味である。「酉」は酒樽の象形で、熟成を表わし、上部の「ハ」は、熟成された酒の香気を表わす。悪い意味など少しもない。
「酋長」が禁圧され、代替的に音(おん)の近い「首長」が使われるようになった。首長は、知事や市長など自治体の責任者を指す言葉である。これは最近「くびちょう」と呼ぶことが多い。その理由として「しゅちょう」では「首相(しゅしょう)」や「市長(しちょう)」と紛らわしいからだとされるが、わざとらしい言い訳としか思えない。
「酋長」と思われたくないために「くびちょう」と言っているのだろう。その証拠に「インディアンの首長(くびちょう)」とは言わないではないか。愚劣な差別語狩りが玉突き現象を起こしているのである。
陸自の与那国沿岸監視隊が当地の女酋長をシンボルマークにしたというのも初めて知った。陸自、お見事。ここでも革新・左翼は負けている。米軍は攻撃用ヘリ「アパッチ」「シャイアン」を持っている。このネーミングも国民統合の観点で巧みである。
1930年(昭和5年)の『酋長の娘』(私のラバさん酋長の娘)は今では放送禁止歌となっている。これはミクロネシアに渡った森小弁(『冒険ダン吉』のモデル)と現地の恋人を歌ったものだ。森小弁の子孫がミクロネシア連邦七代目大統領M.モリである。
この歌の作詞・作曲者は演歌師の石田一松である。石田は苦学の末、戦後衆議院議員になった。そして、安保条約にも単独講和にも反対した。共産党議員が懲罰決議にかけられた時も反対した。言動の評価は分かれるにしても、なかなか気骨のある芸人であった。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2017年3月24・31日号