そうしたなかで、相撲協会が2014年の公益法人化に先立ち、一括管理のために名跡証書の提出を求める事態となった。
「公には認められていませんが、証書を譲り受けるには巨額のカネが必要。先代の女将と隆の鶴の話し合いがつかなかった。『鳴戸』の名跡を継ぐ権利を失ってしまえば、隆の鶴は廃業するしかない。
ところがそこに前年急死した元前頭・久島海夫人が持っていた『田子ノ浦』の名跡を譲り受ける話が浮上した」(担当記者)
隆の鶴は「田子ノ浦」の名跡を入手し、新たな稽古場として親方の定年で部屋が消滅した三保ヶ関部屋の建物を借りる算段がつく。そして、稀勢の里を含む当時の鳴戸部屋の力士一同と相談の上、全員で新たな田子ノ浦部屋に移ることを決めた――という経緯があるのだ。
2013年12月、田子ノ浦への名跡変更の発表と引っ越し作業が同時に行なわれたが、「まるで夜逃げのような作業で、先代夫人は当日まで何も知らされていなかった」(同前)というのである。
そうした経緯があるからこそ、稀勢の里が先代を慕っていると公言しても、メディアに先代夫人は登場しないのである。
親方の遺族が名跡証書を所有できるのは3年まで。先代夫人が「鳴戸」の名跡証書を持ち続けることはできない。結果、稀勢の里が「先代」と慕う元横綱・隆の里と同じ二所ノ関一門だがとくに縁のない琴欧洲(元大関)に名跡は渡り、現在に至っている。
※週刊ポスト2017年4月14日号