この場所で白露山は膝の故障が癒えていなかったのだが、自分の白星こそがガンの進行から親方を守る方法だと思っていたのではないか、と私は思う。
続く五月場所、十勝五敗。この場所の前頭八枚目はこの時点で自己最高位であり、翌場所では幕内上位、三役目前まで番付が上がる。しかし白露山は、しゃがむことすら容易にはできなくなっていた。蹲踞の姿勢もゆがんでしまう。取組中前傾になって力をこめると、左膝に激痛が走る。
でもそんな小さなことを気にしてはいられない。僕が勝ち続けて三役に上がるころには、親方は稽古場に戻っているんだもの。九月……せめて十一月場所には三役に上がっていなければ、せっかく元気になった親方が指導のしがいがないよね。翌七月場所。東前頭二枚目。
「ここからが大変なんだぞ。横綱、大関、上位陣全員とあたるんだから」
かつて自らが三役・大関へと駆け上がった経験からアドバイスをくれるはずの親方、自己最高位でむかえる晴れがましい七月場所を誰よりもよろこんでくれる親方──。入院からわずか三か月、七月場所での白露山の勇姿を見ることもなく、六月二十三日、四十五歳の若さで二十山親方は逝った。(この項続く)
※週刊ポスト2017年6月23日号