片山:当時佐川急便事件の影響もあり、反金権政治が錦の御旗として掲げられていました。イデオロギーや思想は二の次で社会主義やマルクス主義の人も、自由市場的な考えの人も野合して、新たな勢力を作った。
アメリカのような二大政党制にすれば、政権交代が頻繁に起きるようになって、政官財の癒着に歯止めがかかるはずだと。その方向への過渡期としての細川大連立内閣や自社さ連立内閣が演出されたのですね。
佐藤:私は自社さ連立政権がなければ、平成8年の橋本内閣は絶対に生まれなかったと考えています。当時、モスクワの日本大使館に政治学者の佐藤誠三郎(※注)が訪ねてきた。日本大使に「橋本龍太郎は総理になる可能性ありますか」と聞かれた佐藤誠三郎は「本人以外の全員が反対するでしょう」と応えた。
【※注/大平内閣や中曽根内閣で政策ブレーンを務めた政治学者。日米政治や安全保障を専門とし、保守系論客として活躍】
それほど橋本は政界で異質の存在だった。まず派閥の領袖ではなかった。それに政治家と一緒に飯を食わない。五五年体制が続けば、大臣レベルで終わる政治家と誰もが見ていた。
でも、自社さ連立政権で、彼にチャンスが転がり込んだ。伝統的な自民党の政治家なら、橋本内閣が行った予算の上限を定めるキャップ制導入や省庁の再編などの新自由主義的な改革は行わなかったはずです。
片山:橋本政権の新自由主義の流れは、その後の森政権にも小泉政権にも引き継がれます。ソ連崩壊で21世紀はアメリカの一人勝ちと当時は想定された。いま思えば極めて安直な「新しい常識」に支配されて政界もアメリカ型二大政党制に再編されるべきと大新聞も政治学者も煽り続けた。
とすれば、「政界再編過渡期内閣」としての自社さ連立政権は、冷戦構造崩壊後の判断ミスの時代が生みだしたとも言えませんか。やはりソ連の崩壊抜きに平成は語れません。