当たり前の日常が、前触れもなく唐突に壊れる。東名高速道路の夫婦死亡事故は、この事実を容赦なく私たちに突きつけた。想像を絶する悲しみの中で、遺された者をさらに襲う法律の壁。10年前のあの日、自分の命よりも大切な愛娘を失った風見しんご(55才)の言葉は、誰よりも重い。
風見の人生が一変したのは、2007年1月17日の早朝8時8分だった。自宅からわずか150m先の横断歩道を渡っていた長女のえみるちゃん(享年10)が、通行禁止のスクールゾーンから飛び出してきたトラックにはねられた。
現場に駆けつけた風見の妻がトラックの下に潜り込み、下敷きになった愛娘を助け出そうとしたが、叶わなかった。
事故後、えみるちゃんが大切に使っていたランドセルは引きちぎられ、鉛筆はプレスされたように潰れて、風見のもとに戻ってきた。
「それほどの衝撃が小さな体にかかっていたのです。事故後、しばらくは四六時中えみるのことを考えていました。ロケに出た街で10才くらいの女の子を見かけると、『もしかしたら、えみるじゃないか』と思ってしまう。事故当日、えみるが新体操に行くために玄関に用意していたバッグをずっと片づけられずにいたり…。
時間が経てば経つほど、えみるにはもう会えないんだ、という現実に押しつぶされて、心が折れてくる。フラッシュバックのように、パッと脳裏に事故現場の光景が甦り、パニックになることもあった。表向きは頑張っているようにふるまったけど、内心はボロボロでした」(風見)
えみるちゃんの事故後、風見はそれまで毎日運転していた自家用車を必要最低限の利用に切り替えた。現在でも月に2、3度しかない運転中は緊張して、ハンドルを握る手にべっとりと汗をかくという。
今年の命日には、事故が発生した8時8分に事故現場を訪れて、家族全員で手を合わせたという風見。
「毎年、仏壇にはえみるの大好物だったツナサンドをお供えします。生きていたら21才ですからね…。昨年は成人を祝ってワインも開けました。10年経った今も毎日、事故の現場を思い出します。この傷は一生消えることはない」(風見)
娘の事故から得た教訓について、風見はこう語る。
「あの日までは、『自分や家族は交通事故とは関係ない』という根拠のない自信を持っていました。皆さんもそうでしょう。でも理不尽な交通事故は一切の前触れなく、突然やってきます。だから怖いんです。『ウチに限って起こらない』という思い込みが間違っていることを娘が教えてくれました。つらくて悲しくてやりきれなくて寂しいけど、彼女は天国からいろいろな言葉をぼくに投げかけてくれます」
愛する人が突然いなくなることは、誰にでも起こり得る。そのことを忘れてはいけないと、風見は力説する。
※女性セブン2017年11月9日号