「女は二度生まれる」(1961年 監督:川島雄三)より
若尾文子(84)は疎開先の宮城県仙台市へ舞台公演に訪れた長谷川一夫の演技に感銘を受け、自ら楽屋に押しかけて俳優志願。その熱意が認められ、長谷川の推挙で1951年に第5期ニューフェイスとして大映に入社した。デビュー1年目にして9本もの作品に出演し、その翌年には『十代の性典』(1953年)で主演に抜擢。同作品が大ヒットし、人気女優の仲間入りを果たした。
娯楽作品に出演してアイドルのような人気が続いたが、溝口健二監督の遺作となった『赤線地帯』(1956年)で金にがめつい女という初の汚れ役に挑んで演技に開眼。増村保造監督の『妻は告白する』(1961年)では、複雑な人妻の心理を表現し、鬼気迫る悪女を演じて演技派としての一歩を踏み出した。以降、『清作の妻』(1965年)をはじめ、通算20作もの増村作品に出演。一連の作品を通じて、欲望に忠実な、破滅的で情熱的な女性を好演し、戦後日本の新たなヒロイン像を創造した。