きよしさんと二人でやっている漫才師から逸脱することが嫌だったのかもしれないし、自分がちょっと上から目線で人を見るような立場に立つことが嫌だったのかもしれない。言ってみれば、漫才師が評論家みたいなポジションに行くのが嫌だったのかもしれないですね。
けれど、その後にお笑いの人たちがキャスターをやる流れができていくなかで、やすしさんがやったことは大きいことでした。僕が『ニュースステーション』をやっているときに、島田紳助さんが見学に来たことがあるんですよ。まだ『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)の司会をする前だったんですけど。
僕はそのとき、紳助さんが来ているのを知らなかったんだけど、たまたま大蔵省の主計局の人と予算編成をめぐって大議論になったんです。それを紳助さんが見ていて、一緒に来た人に、「これはおれにはできない」って言って帰ったという話をあとから聞きました。でも、結局はやることになるわけで。
それから、難しくてわからないことはわからないで済ませてもいいんだっていうようになっていったと思うんです。そして、お笑いの人たちがワイドショーに出ていろんなコメントを言ったりするようになっていった。今考えると、やすしさんは、そういうところに一歩近づいていくのが嫌だったんだんじゃないかと思うんです。
◆聞き手/柳澤健(ノンフィクションライター)