新大関の安青錦(写真/共同通信社)
戦禍を逃れて海を渡った青年の活躍は、いまだ混迷のなかにある故郷の家族や友人たちを勇気づけた。しかし、葛藤と寂しさを抱えながら、異国の地で看板力士へと成長した安青錦の胸中は複雑で──。
「平和がいちばん大切。世界中が平和になったらいいなと思う」
11月29日に長崎市(長崎県)の平和公園を訪れて「平和の献花式典」に参列した新大関の安青錦(21才)は、真剣な眼差しでそう言葉に力を込めた。本名、ダニーロ・ヤブグシシン。角界のニューヒーローとなったウクライナ出身の青年は、80年前に原爆が投下された地で、戦禍が続く故郷にも思いをはせたのだろうか。
大相撲九州場所で初優勝した安青錦が、史上最速での大関昇進を決めたのは11月26日のことだった。ウクライナは格闘技が盛んで、アマチュア相撲は日本やモンゴルに並ぶ強豪国。「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬の父親の出生地でもある。
「首都のキーウから、車で南西に約2時間半の位置にあるヴィンニツァで安青錦は育ちました。大きな噴水がある美しい都市で、“ウクライナでもっとも住みやすい街”とも呼ばれています。
7才で相撲と出会った安青錦は、一瞬の駆け引きで勝負が決する日本の国技にすぐに夢中になったそうです。12才の頃にYouTubeで見た2002年の貴乃花と朝青龍の取組に感銘を受けて、“自分もあの土俵に立ちたい”と大相撲への強い憧れを抱いたといいます」(スポーツ紙記者)
15才だった2019年に安青錦は初来日し、大阪府で開催された相撲の世界ジュニア選手権に出場して3位入賞を果たした。2年後にはヨーロッパ相撲選手権で優勝。地元の大学に進学して相撲を続ける予定だった。
だが2022年2月にロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始したことで、状況は一変した。
「戦争が始まったことで、当時のウクライナでは原則として18~60才の男性は出国が禁止され、18才の誕生日を翌月に控えていた安青錦は、このままでは戦禍に巻き込まれる可能性が高かった。力士になりたいという12才からの夢を叶えるためには、すぐに出国しなければなりませんでした。安青錦は“いま日本に行かないと後悔する”と、憧れだった大相撲への道を模索しました。ただ家族や友人たちから離れることに、“自分だけ夢を追っていいのだろうか”という葛藤もあったようです。
しかし、意を決して日本行きの意志を伝えたところ両親に反対されなかったことが、決意を固めた要因だったそうです」(部屋関係者)
頼ったのは2019年の世界ジュニア選手権で知り合って以来、SNSで交流を続けていた関西大学相撲部(現コーチ)の山中新大氏(26才)だった。安青錦が《日本に避難できないでしょうか》と山中氏にメッセージを送ったところ、山中氏は関係各所を奔走し、受け入れ態勢を整えた。そして、2022年4月、ウクライナの青年はスーツケース1つで関西国際空港に降り立った。
