一昨年10月31日付の産経新聞では、編集委員の大野敏明が「『初代金日成』の本名」という大きな記事を執筆している。
初代金日成というのは本物の金日成という意味で、1920年代に抗日独立運動を指揮した。北朝鮮の初代最高指導者は1912年生まれだから、彼が本当に金日成だとしたら、十歳前後の子供でありながら抗日運動を指揮したことになる。まさしく神話である。
金日成ニセモノ説、あるいは複数説は、実はかなり以前からアングラ的に流れていた。
1976年の李命英『四人の金日成』(後にワニ文庫『北朝鮮 金日成は四人いた』)は、中でも早い例である。一読後、知人の朝鮮史研究家に問うと、李命英は信用できんと言う。私としては真偽は決しかねたが、それでも何かがあるとは思った。というのは、学生時代に、戦時中満洲で情報収集の仕事に関わっていた年配者から、金日成はニセモノだよ、と聞いていたからである。
この問題は単なる歴史秘話である以上に、政治学・社会学的テーマにつながる。一つは、統治権力の正統性の問題である。金日成を名乗ることが正統性の証しになっているからだ。これは日本における同種のテーマを考察する上で参考例となるだろう。また、英雄複数説も思い起こさせる。白土三平の雄篇『忍者武芸帳』にもこれが描かれる。白土は金日成神話を既に知っていたのかもしれない。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年2月16・23日号