カステラ、丸ぼうろ、金平糖(こんぺいとう)など、今ではすっかりおなじみのお菓子。これらの製法は砂糖などとともに西洋から長崎に伝えられ、長崎街道を中心に独自の発展を遂げてきた。そのため、この街道を訪れると、日本のお菓子の歴史が学べるのだ。
日本に初めて砂糖が伝えられたのは約1250年前の奈良時代。当時、輸入量はごくわずかで、のどの薬として使用されていたが、その後、ポルトガルとの貿易などをきっかけに、輸入量は増加。江戸時代になり、出島が貿易の舞台となった頃には、現代の金額で年間約24億円もの膨大な量が輸入されるようになったという。
「この時、砂糖とともに西洋の菓子づくりの技法も伝えられ、カステラや丸ぼうろ、金平糖なども作られるようになりました。その後、砂糖は料理にも使われるようになり、長崎界隈の味付けが甘めなのも、この辺りが砂糖の輸入拠点だったことが関係しているといわれています」(長崎市商業振興課の長野早紀さん・以下同)
長崎の出島に輸入された砂糖は、佐賀を経由して小倉へと続く長崎街道を通って、京、大阪、江戸へと運ばれていた。そのため街道沿いでは盛んに甘い菓子が作られるようになり、のちに「シュガーロード」と呼ばれるようになる。
今から約10年前、この甘い歴史にあふれる街道を、さらにアピールしようと、街道を有する長崎市から北九州市までの8都市が協力。情報発信を行っている。
「例えば、諫早(いさはや)市で“おこし作り見学(要予約)”をしたり、佐賀の『村岡総本舗羊羹資料館』で羊かんの歴史や文化を学びながら、羊かんと抹茶の試食ができるなど、街道沿いにはおすすめの場所が豊富。
なかでも『出島』は、かつて砂糖をはじめとする輸入品が保管されていた三番蔵などが復元されており、洋館と日本家屋が共存する街並みを歩くと、鎖国当時にタイムスリップしたような気分が味わえます」
3月24日には、長崎市内のスイーツをめぐる『ながさきスイーツさるく新春』(1人2000円)を行う予定だ。シュガーロードでは、全国的にも有名な銘菓が生まれ、長崎県大村市のようにお寿司に砂糖を使う調理法が発達した地域もある。
しばしダイエットのことは忘れて、庶民の工夫で生まれた甘い歴史を味わいに、出かけてみませんか?
※女性セブン2018年2月22日号