しかし多くの仏教徒は、お経を唱えたり、多額のカネを喜捨したり、仏事修行に打ち込んだり、表面的な行為に熱心になっている。本質を学ぶより、「ありがたいものをいただけそう」なライブ体験の方が大事になってしまっているのだ。
瀬戸内寂聴さんが名誉住職を務められている岩手県・天台寺での法話には、5000人以上の聴衆が押し寄せるという。ほとんどは、寂聴さん見たさのファンだ。仏教の本質を学びたいわけではないだろう。
寂聴さんの声を聞き、生の姿を見たいから、足を運んでいる。寂聴さんの法話をリアルで聞けるという、ライブ体験が欲しいのだ。彼女の思想をきちんと知りたいなら、無数に出ている寂聴作品を読めばいい。その努力をしないで、表面的な行為で満足してしまう。
本質を理解することなく、行動だけ先走っても、己の進化にはつながらない。大切なことは、自分自身できちんと物事の本質を理解し、義務教育によって植え付けられた間違った価値観や固定観念を、己の手で払拭していくことである。
※堀江貴文・著/『属さない勇気』より