特にテストされたのは、失恋した哀しみのため自宅で茫然と巻き尺を巻き続ける場面だったという。それまでメロドラマに多く出演してきた岩下にとっては慣れた芝居だったが、そのことがかえって仇となってしまう。

「先生の指導は、『もう一回』『もう一回』っておっしゃるだけで、どこが悪いっていうのはおっしゃってくださらないの。でも、後で監督に言われた言葉で気づいたことがあります。おそらく、その時の私は『失恋したから』ということで悲しい顔をしていたと思うんです。撮影が終わった後にお食事に行きました時、先生は『悲しい時に人間っていうのは悲しい顔をするものじゃないんだよ。人間の感情ってそんな単純じゃないんだよ』ということをおっしゃって、『ああ、あの時の私は悲しい顔をしていたんだな』ということが分かりました。

 悲しい顔をしていたのか、動きが自然でなかったのか──きっと両方でしょうね。顔も動きも自然になるまで何度も何度もやって、先生は自然になるのを待っていたんでしょうね」

 巨匠の言葉が、覚醒を促した。

●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。

※週刊ポスト2018年4月13日号

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