そのエンゼルスは1961年の創設以降、実は正式名称を4回も変更している。1961年から1964年までロサンゼルス・エンゼルス。1965年から1996年はカリフォルニア・エンゼルス。1997年から2004年まではアナハイム・エンゼルス。そして、2005年から現在まではロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムという具合だ。初代オーナーは、カウボーイ俳優として一世を風靡したジーン・オートリー氏。球場内に銅像があるし、彼の背番号「26」はチームの6つの永久欠番の一つになっている。
お荷物球団と揶揄されたエンゼルスは1997年にウォルト・ディズニー社がオーナーとなって、チーム改革が一気に進んだ。1995年にラムズがセントルイスへ移転したことで、野球専用スタジアムに改築され、その際左中間にビックサンダーマウンテンのような巨大な岩山が登場した。同社はナショナル・ホッケー・リーグのアナハイム・ダックスも創設し、ディズニーランドとスポーツの一体化を進めた。その結果、2002年ワイルドカードからプレイオフに出場したエンゼルスはその勢いのまま、球団創設42年目で初のワールドシリーズを制し、球団史を塗り替えてみせた。
その陣頭指揮を執ったのが、2000年に就任し、現役最長監督のマイク・ソーシア監督。レギュラーシーズンの勝率は5割を越え、通算勝利数「1582勝」で球団歴代1位、メジャー史上でも21位にランクインする名将だ。ただ、2009年のプレイオフ以降白星から遠ざかり、今季が契約最終年という土俵際。大谷の加入を追い風にして、是が非でも結果が欲しいシーズンだろう。
大谷を最も欲しがった男が、広告代理店業で財をなしたオーナーであるアート・モレノ。メジャー史上初のヒスパニック系のオーナーとなった。アナハイム人口の46.76%がヒスパニックまたはラテン系であるという数字を意識したマーケティング戦略で、長年白人ファンが多かったファンの構成比を変えた。当然、アルバート・プホルズを始めとして、ラテン系選手の補強にも積極的だ。また、モレノがオーナーになって以降、観客動員数が300万人を下回ったことは一度もなく、1990年代に4度も100万人台があったチームとは到底思えないほど、経営面でも成功している。
過去にも、長谷川滋利氏、松井秀喜氏、高橋尚成氏が在籍したが、大谷ほど爆発的な観客動員数に繋がることはなかった。ヤンキースでワールドシリーズMVPを獲得した翌年に移籍した松井秀喜氏でさえ、晩年であり、今回のような騒ぎにはならなかった。