近世史では島原の乱を取り上げる。江戸時代は平和な時代という印象があるが、武士が戦闘者から治者へと転換するのは島原の乱以降である。【4】『島原の乱』(神田千里・中公新書)は、同乱を「中世から近世への移行を象徴する出来事」と捉え、島原一揆は戦国大名の軍隊と同質の武力と主張する。また島原一揆が寺院や神社を焼き払うなど「異教徒」を攻撃したことを強調し、一揆を美化してきた戦後歴史学を批判する。【4】に批判的な大橋幸泰『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)も併せて読みたい。
近代史は、日露戦争と太平洋戦争に注目したい。一般の方が抱く日露戦争像はおおむね司馬遼太郎の『坂の上の雲』によって形作られていると思う。日露戦争を祖国防衛戦争として活写する司馬史観は魅力的だが、同戦争の意義はそこに留まるものではない。近年は日露戦争を第一次世界大戦の原型と位置づけ、「第零次世界大戦」と呼ぶ研究者も現れてきている。【5】『世界史の中の日露戦争』(山田朗・吉川弘文館)は、日露戦争を世界史の中に位置づけた好著である。
当時、日露戦争を世界の新聞がどう報道したかを詳細に紹介しており、非常に興味深い。また、日本のアカデミズムでは、「銃後の生活」とか「戦争の記憶」のような切り口が好まれ、日露戦争を純粋な軍事史の観点から論じたものが意外に少ないので、その点でも貴重である。ロシアの対日外交の迷走に関しては、横手慎二『日露戦争史』(中公新書)が詳しい。
太平洋戦争に関しては膨大な著作があるが、軍事史的な研究は月並みなものになりがちである。敗者である日本陸海軍の戦略・戦術を後知恵で評価すると、ダメ出しの連続になってしまうからである。