天皇と慶喜の配置でわかるように、左側が新政府軍、右側が旧幕府軍である。諷刺錦絵では大抵醜く描かれている薩摩藩は、天皇のすぐ後ろにいて、こう話している。「そんなことでハ 手のろい手のろい 四の五のいハさず 一トうちやんねへ」。どうあっても戦に持ち込みたかった薩摩藩の本質を、うまく描いているようだ。
そして、会津藩である。右側一番上の男性がそうで、彼にはこう言わせている。「しよて(初手)から おれがじよごん(助言)をするに エエエエきのいひ(気のいい)人だなア 是からおれが引うけて 一トせうぶ(勝負)して 手なみをミせう」。やはり、江戸の庶民は、会津が動けば旧幕府側が勝つに違いないと信じていたようである。
諷刺錦絵は戦況も比較的正確に伝えており、しばらくすると絵からは慶喜の姿が見えなくなり、会津藩や庄内藩の存在がさらに高まっていく。だが、江戸の庶民の思いに反して、快進撃を続けたのは新政府軍の方だった。そして、この年の9月8日、慶応は明治に改元される。名実共に、江戸時代が終わったのだった。
【PROFILE】森田健司●1974年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士。専門は社会思想史。著書に『西郷隆盛の幻影』、『明治維新という幻想』(ともに洋泉社)などがある。
※SAPIO2018年3・4月号