働き方改革の例として、定時で帰ると決めている製造業の職場や、効率よく仕事を終えたら周囲を気にせず退出できる雰囲気作りを実践できているサービス業のオフィスを取り上げる一方で、みずからの環境は変えられないまま。そして、なんとか改善しようと試みても、自分こそが正義であり正しいと信じている“上司”や“先輩”たちは、文字通り聞く耳を持たない。ブラック企業問題の報道では経営陣に改善を呼びかけ、不祥事があれば他組織に所属する人物に告発をもちかけるが、みずからの組織に関わる告発を外部からされると、真相究明よりも保身を優先する傾向にある。
「彼らはやっていることが“パワハラ”だと本当にこれっぽっちも思っていません。万が一パワハラだと指摘されたところで、それは愛だとか教育だとか言って逃げるのです。セクハラやパワハラを行っておきながら、お前が悪い、世論が悪い、などと話をすり替えて自己正当化を試みる。本当は私たちが声を上げなければならないのですが、仕事や居場所を失う怖さが先に立つ。どうしようもありません。他人のことは追及できても、自らが追及されれば口を閉ざし殻にこもる。 マスコミに限った話ではありませんが、いくらキレイごとを報じたところで、読者や視聴者もすでにシラけているでしょう」
セクハラを訴える若手記者に対する上司の言動は、「過去に同じことを乗り越えてきて今がある」確信から出ている。だが、上司が現場を走り回っていた時代と現在では、労働環境が大きく異なる。携帯電話やスマートフォンが普及し、24時間どこにいても連絡がつくようになった。便利になった反面、昼も夜もなく、休日もない。また、ネット向けの出稿が追加され対応する画像や映像、原稿執筆や編集業務が発生しているが、それにあわせて人員が大幅に増やされるようなこともない。
基本的な拘束時間と業務量が増えているため、本来なら管理職が率先して部下が休息をとれるようにマネジメントするべきだが、それよりも「他社に負けない」ことばかり気にしているため、部下たちの負担は増えるばかりだ。テレ朝記者の勇気ある発言も、結局政争の具になったばかりでなく、既存マスコミのセクハラ・パワハラ問題に対する意識のなさを際立たせただけ。他社よりも早く情報をものにするためとはいえ、その「スクープ」は果たして、視聴者や読者にとっての「スクープ」となっているのか。