世界的ムーブメントになっているセクハラ被害体験の告白と共有を促す「#MeToo」については、日本でも盛んに報道されてきた。その論調はおおむね、立場を利用したハラスメントは許されないというものだったはずだ。ところが、それらを報じてきた記者が「被害者」として声を上げると、マスコミから発信される言葉の歯切れが突然、悪くなった。ライターの宮添優氏が、記者がセクハラやパワハラを受けながら報じるニュースは、誰にとってのニュースでありスクープなのかを考えた。
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「セクハラやパワハラの記事を、セクハラやパワハラを受けながら書く……。冗談みたいな話ですがこれが事実です。誰もがテレ朝記者を心の中では称賛している。でも表立って言う人はいない」
大手新聞社に所属する、都政担当の女性記者・町田由美さん(仮名・二十代)が打ち明ける「セクハラ・パワハラ」の実態は、マスコミの内側、とりわけ大メディアの「ダブルスタンダード」を示している。セクハラ・パワハラが世界的に問題視され、我が国でもやっと認識され問題視されている世論とは真逆をいくものだ。
「警察や省庁の幹部には中年男性が多いので、気を許してもらいやすいだろうと若い記者が担当になります。とくに、大学を出たての一年生記者に女性がいたら、たいてい番記者になります。とくにテレビ局は露骨にそういう選別が行われています。そして、取材対象者の要請があれば、深夜だろうが休日だろうが呼び出される。出かけてみるとただの酒席で、テレ朝記者のようなセクハラを浴びることも、よくあります」
町田さん自身も、記者一年生時代には某省庁幹部の「番記者」を拝命し、朝から晩まで、幹部の行く先々に同行し続けた。セクハラ的な言動は日常茶飯事だったが、それを上司に相談したことだって、一度や二度ではなかった。しかし……。
「上司からは“それくらいに耐えられなくて記者失格”と訴えを退けられました。セクハラを受けようが、それに耐えてネタを取ってこいと。それができないなら(閑職である)くらし担当、芸能担当にでも異動しろ、というわけです」
セクハラ被害を、パワハラを用いて封じるという歪んだ話だが、こうした上司は、どんなところにも存在するし、今なお、そうした感覚が抜けていない人が少なくない。そして、常識とかけ離れた考え方に疑いを持っていないため、目的遂行のためにセクハラ被害に遭うことを推奨するかのようなパワハラすら起きている。
「とある記者が、取材対象者と懇意になりすぎているのではないか、対象者の家に通ったりしてネタを取っているのでは、と騒がれたことがありました。私たちは“フェアではない”と感じましたが、上司からすれば、私たちは“負けた”ことになります。お前ももっと食い込め、取材しろ、何なら家に泊まってでもネタを取ってこい、と暴言を吐かれたこともあります」
上司に言わせれば、これも「一流記者になるための試練」であるのだから、開いた口が塞がらない。昨今、政府が音頭を取る「働き方改革」についても、マスコミは盛んに取り上げているが、当のマスコミ関係者は、パワハラを受けながらもパワハラ問題を取材していると自嘲気味に話す。
「電通社員の過労死問題が起きた時、電通では夜22時までに汐留の本社ビルの電灯を消す、みたいなことをやっていましたよね。実際社員は自宅など会社外で業務を行っていたことが後に明らかになっていますが、我々も、その期間は極端な時間外労働を強いられていました。電通本社前で22時に電灯が消えたのを確認すると、朝5時には電灯が付くのを確認する。日中は関係者取材に奔走し、取材できなければ“取れるまで帰ってこなくていい”などとどやされる。途中で何の取材をしているのか、どんな問題を明らかにしなければならないのか、目的が分からなくなっていたほどです」
都内のキー局記者がこう話すように、まさにパワハラを受け続けている被害者であるはずの記者が、パワハラ問題やパワハラ被害者を取材する、いびつな事態になっているのだから笑えない。
「一日の睡眠時間が2時間だろうと、休みが一か月間なかろうと、そんなものに耐えられないくらいでは一流の記者にはなれないよと平気で口にする。長時間、働くことは当たり前というのが上司たちの世代の統一見解で、常識なのでしょう。終業時間だろうと“他の社員が働いているのに帰るのか”と普通に言われますし、それでも帰ろうとすると“やる気がない”となる。議論の余地はなく、価値観の押し付けだと感じます」