隣に「ひきこもり」が住んでいることが「 正直気味悪かった」(奥田さん)ともいうが、いつしかひきこもりの息子の存在を誰もが忘れ去り、そのうちXさんが町内会や団地の催しにも顔を出さなくなると、Xさん家族そのものが、まるで「いない存在」になった。
「回覧板だって受け取ってもらえないし、いつ行っても居留守ですからね。町内会の名簿からもいつの間にか名前が消えていました。そしたらビックリですよ。朝起きたらXさん宅に警察が来ていて、刑事さんがうちにも聞き取りに来られた。Xさんは自宅の布団の中で数か月前に亡くなっていて、息子は精神状態がおかしくなっていて、病院に連れていかれたんだそうです。こんなに身近で起きたことに、我々としても責任を感じますが……。でも私に何かできることがあったのかといえば、たぶんありません」(奥田さん)
長年にわたるひきこもりと、その家族が社会から断絶される恐ろしさについて、身を持って知ったと話すが、奥田さんの言う通り「周囲に出来ることは何もなかった」という問題だからこそ根が深い。また、ひきこもりを持つ家庭自らが社会から身を引こうとする傾向もあるから、ひきこもりやひきこもりがいる家庭には、できるだけ早く第三者が関与し、社会復帰や社会との関わりが立たれないよう、つなぎ留めておく必要がある。
長年にわたって社会が無視し、行政が放置してきた中高年のひきこもり問題は、解決どころか、その実態調査ですら、すでに「不可能なもの」になりつつある。そして、取り組みそのものの難しさは、就職氷河期に正規雇用を逃したまま、三十~四十代になった人たちの問題と重なる。彼らに対して自己責任だと突き放す見方があるが、これほどの人数が「不遇」なのは、社会を不安定にさせる要因となる可能性が高い。遅いという指摘はその通りだと思うが、ひきこもりも、雇用問題も、国や社会全体で真剣に取り組むべき問題だろう。