1985年、西城さんは1974年から11年連続出場をしていたNHK紅白歌合戦に落選している。その時、プライベートでも親交の深かった野口から電話が掛かってきたことを、生前の西城さんが明かしている。
〈「オイ、オレは心配して電話してるんじゃないゾ」っていうの。「うん、わかってるよ」っていったら「わかってるよじゃねえよ」っていうから、「じゃあやっぱり心配してかけてきたのか」って聞いたら、「そうじゃないけどがんばれよ」だって。(笑)〉(週刊平凡1986年4月25日号)
デビュー2年目の1972年、『めぐり逢う青春』で初出場を果たした野口は1981年まで10年連続出場を続けていたが、1982年に落選。翌1983年に『19:00の街』で復活するも、1984年以降は選ばれていなかった。それでも、野口は西城さんにこう声を掛けた。
〈「『紅白』に落ちたのはオレのほうが先輩だ」なんてジョークいって、ホントいいやつなの、アイツ〉(同前)
自分も悔しいはずなのに、親友を気遣ったのだ。芸能記者が話す。
「『新御三家』はレコード売り上げや音楽祭などで争っていたし、ライバルと思われがちです。でも、彼らからしてみれば、同じ時代に、同じくらい多忙で、同じくらい騒がれるという境遇を経験している芸能人は他にいない。
五郎さんは『紅白』に落選した秀樹さんの気持ちが誰よりもよくわかるから、電話をしたのでしょう。秀樹さんにとっても、五郎さんから声を掛けられるのは特別。他の人から同じ言葉を言われたとしても、重みが全く違う」