日本で生まれ育ったのに外国籍を持っていることで差別を受けていることや、いっこうになくならない男女差別を嘆く投書からは、問題の根深さやこの30年、あるいはもっと長いあいだ、私たちがいかに反省しないまま過ごしてきたかが伺えます。専門家が投書するコーナーには「五輪大義の自然破壊やめよ」という一文も。ここで言う五輪は長野五輪のことですが、長野を東京に入れ替えれば、そのまま通用しそうな主張です。
30年前の日本人も今の日本人も、おおむね同じようなことで腹を立て、よく似た問題意識を持っていると言えるでしょう。たしかにニュースを見聞きすると、腹が立つことは少なくありません。しかし、30年前の勇ましい投書の数々は、たいていのことは「今に始まったわけではない」し「すぐにどうなるわけでもない」と教えてくれます。
SNSが広まって他人の怒りや問題意識が見えやすくなり、つられて腹が立つことも増えました。どんなにもっともらしい怒りの表明も、結局は空回りでありきたりで自己満足の域を出ないと思えば、いたずらに心乱されずに済むかも。とはいえ、飛行機内での禁煙を訴えた「日本の空でもたばこ追放を」(団体職員、52歳、男性)のように、ちゃんと世の中がそうなった例も見受けられます。どうしても怒らずにいられない人は、数打ちゃ当たるという希望と諦念を持ちつつ、ハタ迷惑にならない程度にがんばりましょう。