「それを可能にするのは、簡単なこと。どんな状況でも『絶対に大丈夫』『アイムラッキー』とポジティブな言葉を口に出すんです。『ついてねぇ、クソ!』って言っていると、『ついてねぇ』のままだけど、『ラッキーだから大丈夫』って声に出して言い続けていると、不思議なことに幸運が向こうからやってくる。“アイムラッキー”って100回は言うようにしています(笑い)。(NYで)清掃作業員として苦労したことも、7本指になったことも、ぼくにとってはこのうえなくラッキーなこと。だってそのおかげで、10本指で弾いていたときは出せなかった音が出せるんだから」
“アイムラッキー”とともに座右の銘にしているのが、「毒は愛をもって制す」という言葉。
「ぼくのオリジナル。自分のことを好きな人のことを、嫌いになるってすごく難しい。だから、どんな相手でもいいところを見つけるんです。『そのブローチ、素敵ですね』とかそういうのでもいい。そうすると、相手も自分を好きになってくれる」
大阪の実家から、ニューヨークの庭付き一戸建て、そして(あまりにも狭い)“棺桶アパート”とさまざまな場所に住んできたが、今はニューヨーク・マンハッタンのマンションに住む。
「やっと落ち着いて、音楽家として活動できるようになりました。『7本指のピアニスト』として認知してくださるかたも国内外問わず多く、年に80回は、アメリカ国内や日本のリサイタルやコンサートで、ピアノを弾いています。11月にはまたカーネギーホールで演奏できる。また、最近は、ニューヨークだけでなく、イギリスでも演奏活動をするようになりました。場所がどこであろうと、苦難の末にたどり着いた“自分だけの音”をお客さんに聴いてもらえるのはこの上ない喜びです。また、最近はコンサートに来たお客さんが、『私の地元でも弾いてほしい』と招待してくれることもあるんです」
満面の笑みを浮かべる彼は、私生活も、15才の冬から変わらずピアノ一色だそう。
「妻も恋人もいないし、募集もしていない(笑い)。もしかしたら、ピアノだけが永遠の恋人なのかもしれません」
今の目標は、東京オリンピックの開会式で演奏すること。
「ピアノを演奏できて、子供たちにピアノを教えることができて、今でも充分に幸せなんです。でも、2020年のオリンピックを通して誰かに伝えたい。世界中の人たちが見ている大舞台で、日本人で、しかもジストニアという障害を負って一度弾けなくなって、そこから這い上がったマイノリティー中のマイノリティーのぼくが、演奏することができたら、たくさんの人に『誰かにできないと言われたって、一生懸命やったらできるじゃん』と証明できるじゃないですか」
不可能を可能に変える“次の奇跡”はもうすぐそこかもしれない。
※女性セブン2018年9月20日号