この試合で彼女がよく行っていたのは、後者の行動から感情へ働きかける方法。ラケットを振り上げ、投げそうになったが、ギリギリでその行動を止めた。感情に任せて怒りそうになるが、にこっと笑う。手を喉にあててこみ上げる感情を抑え、自分に何かを言い聞かせる。人は、自らの行動によって、自分が今どう感じているのかを強く自覚する傾向がある。そして、その自らの行動は、自覚した感情をさらに高めてしまうのだ。今回のセリーナ選手がいい例で、ラケットを叩きつけ、抗議すればするほど、感情の抑えが利かなくなるのはこのためだ。
そのため、感情をコントロールするには行動から働きかける必要がある。笑っていれば、自然と気分がよくなってくるし、顔を上げ、腰に手をあて足を開いて立てば、なんとなくやれる気がしてくる。深呼吸をすれば、落ち着いた気分になってくる。物理学者のレナード・ムロディナウは、著書『しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』(ダイヤモンド社)で、この傾向を「感情の錯覚」と呼んでいる。落ち着いているフリ、幸せなフリをすることで、心や感情も落ち着いている、幸せなのだと錯覚させることができるのだ。大坂選手も、感情の錯覚をうまく使って、自らの心の状態を望ましい方向に向けさせパフォーマンスを上げていったのだと思う。
帰国会見では、はじけるような笑顔より、はにかむような笑顔が多かった大坂選手。多くの報道陣やファンの出迎えに、「優勝した実感が少しわいてきた」と語ったが、その様子は、優勝したのにどこか遠慮がち。彼女の性格なのかもしれないが、ここで思い切り勝利の喜びを味わうことも、メンタル的には大切なのだ。
心理学の実験では、感情を素直に表に出さないでいると、自制心が利かなくなる「自我消耗」が起きる傾向があるといわれる。次の東レパンパシフィックオープンテニストーナメントの試合まであと数日あまり、今度も「我慢」を武器にするために、ここは思う存分優勝の喜びに浸って、次の我慢につなげてもらいたい。