当時、対馬丸の予定航路の周辺に米軍の潜水艦が出没することは、すでに知られていました。そのため、親たちは子どもを疎開船に乗せることをいやがっていた。それを小学校の教員などが、おそらく国の方針だったからでしょう、「護衛艦が一緒だから安全です」と説得した経緯があったのです。
しかし実際には、護衛艦は子どもたちを救助せずに、すぐ全速力で逃げてしまった。戦前の出来事とはいえ、「天皇の軍隊」の行動を正面切って批判することはできず、答えに困った対馬丸記念会の会長(高良政勝氏)に対して、事情を察した明仁天皇は、
「みんな、ぎりぎりいっぱいだったんですね。本当にいたわしいことですね」
と、ひとりごとのようにおっしゃったのだそうです。
*矢部宏治著『天皇メッセージ』(『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』増補改訂版。http://sgkcamp2.tameshiyo.me/MESSAGEで全文無料公開中)より