(2)『南北朝の動乱』は南北朝時代についての多面的な研究。なかでも著者の佐藤進一が提唱した将軍権力の二元論将軍権力は主従制的支配権(軍事)と統治権的支配権(政治)のふたつから成り立つは、後の研究の源流となった。著者はそれを足利幕府(室町幕府)の成立を例に実証した。将軍についた尊氏は軍事を担当し、政治は弟の直義に任せるという役割分担から、将軍権力は軍事と政治のふたつを構成要素とすることがわかる。
今、近世史研究の分野で「二重公儀体制論」という考え方が有力になっている。関ヶ原の戦いから大坂の陣までは徳川の公儀(権力)、豊臣の公儀のふたつが並立していた、というものだ。だが、豊臣は全国に政治を行っていなかったし、大坂の陣で豊臣についた大名はいなかった。とすれば、将軍権力の二元論から考えると、「二重公儀体制論」には疑問符がつくのだ。
(3)『蒙古襲来』は、13世紀後半の元寇を中心に叙述した鎌倉時代後期の通史。著者の黒田俊雄は、中世においても天皇を頂点とする統一国家があり、鎌倉幕府はそのもとで軍事を担う組織に過ぎなかったとする「権門体制論」の提唱者である。中世の権力構造についての考え方には、もうひとつ「東国国家論」がある。鎌倉幕府は東国を治める、朝廷からは独立した政権であるとする見方だ。その提唱者は先の『南北朝の動乱』の著者佐藤進一だ。
「権門体制論」と「東国国家論」が対立するなか、それらとは異なる立場を取る研究者が出てきた。そのひとりが(4)『中世武士団』を著した石井進。本書は、都から離れたそれぞれの土地(地方、田舎)に根付いて生活し、活動した武士(在地領主)たちの姿を、『吾妻鏡』などの歴史書、『曾我物語』などの文学作品を使い、生き生きと描いている。
これを読むと、在地の武士たちが中央の権力から自立していた姿が浮かび上がる。その意味で、意図したものでないかもしれないが、結果として先の「権門体制論」に対する痛烈な批判にもなっているのだ。