東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏(撮影/小笠原亜人矛)
秦:そもそも兄弟の順では、大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)のどちらが上ですか?
本郷:持明院統の後深草天皇が兄で、大覚寺統の亀山天皇が弟です。ところが、南朝正統を主張する北畠親房の「神皇正統記」は、そこでデタラメを書いてるんですよ。北畠家が仕えた後嵯峨天皇については、後鳥羽天皇がかわいがった順徳天皇よりも「兄だから正統だ」と力説するのに、後嵯峨天皇の次の代になると、兄の後深草ではなく弟の亀山(大覚寺統)のほうに仕える。すると「兄のほうが正統」という理屈が使えないので、北畠親房はそこには触れない(笑)。しかし朝廷ではずっと、北朝が正統であることが当たり前とされていました。
秦:それなのに北朝の子孫である明治大帝を前にして南朝正統を主張するのは、「おまえさんは妾の子だよ」というようなものでしょ。しかもその先頭に立ったのが山縣有朋、長州藩の足軽にもなるかならないかぐらいの出自ですよ(笑)。『明治天皇紀』には、南朝の正統性を国家として認めた枢密院会議に「明治天皇ご欠席」と書いてあります。明治天皇なりの抵抗だったのでしょう。
本郷:山縣有朋は、「軍務においては元帥である自分のほうが格上」と考えて、軍人だった皇族とすれ違っても頭ひとつ下げなかったという話があります。
秦:天皇は単なる「玉」にすぎないというのが本音なんです。明治維新の志士のほとんどが、戦略的に天皇をいかに利用するかだけを考えていた。極端な例が、戊辰戦争における錦の御旗の偽造ですよ。「私製」の旗を見て「賊軍になった」と思い込んだ徳川が揺らいでしまったのですから、明治維新は一大虚構の上に成り立っていたともいえます。