著者は戦争体験者が総退場する時代の「戦争」に向かい合う。その最も顕著な例として、二十一世紀に入って、陸軍の特攻基地だった鹿児島県の知覧が「自己啓発」「活入れ」の聖地となったことに注目する。
『人生に迷ったら知覧に行け』が定着し、ネット空間では、特攻隊員の遺書が百万回以上再生されている。こうした現象を「右傾化」として簡単に片づけず、「平和教育的な特攻受容と『永遠の0』的な特攻受容」が、「ひとりの人格」の中で「対立」ではなく「両立」している点を指摘する。ここから「穏健な戦死観」を育て、国家による「犠牲の論理」を牽制する力とできるのではないか。新しい「戦争と平和」論を予感させる書の出現である。
※週刊ポスト2019年3月29日号