2014年、吉田拓郎は妻と一緒に食事を楽しんでいた
《ぼくはその時「もう歌えない」と思いました。でも、うちのカミさんが黙々と日常生活を送りながら、静かにぼくを支えてくれて、「必ず完治するから。一日一日だから」と…励ましてくれました…》
《痛みで食べ物がのどを通らないので、毎日おかゆを作ってくれて…(中略)ついに2016年には、ステージで素晴らしいミュージシャン、スタッフたちに恵まれて、よみがえることができました》
◆その声は軽やかで若返っていた
のどはミュージシャンにとって商売道具。日常生活は取り戻せても、歌声はまた別の話だ。医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんはこう話す。
「がんのステージにもよりますが、年齢的なものや放射線治療を受けたことを考えると、通常は以前のように歌うことは困難だと考えられます」
だが、2016年夏の復活コンサートで彼の歌声を聴いた音楽関係者は、「以前よりも歌い方が軽やかになっていた。声も若くなっていたようで驚きました」と明かす。吉田の奇跡の復活は、妻の献身愛の賜物だったといえる。
「2016年のツアーを“首都圏”に限ったのは、体力面への配慮もありますが、最大の理由は愛子さん。“日帰りできるところがいい”と拓郎さんは照れもせずに言っていましたから」(音楽関係者)
しかし、2017年、2018年と吉田はコンサートを開かなかった。この2年間の“空白期間”から、その後も予断を許さない状況だったことがうかがえる。吉田は前出のラジオで、
《その後は現在に至って、いろいろあっちが痛いこっちが痛いと病院通いはしていますが、次なるコンサートヘ向かって、今、日常を元気に過ごしているわけです》
とだけ近況を語ったが、さまざまな痛みを抱えていることは確かなようだ。
「今、あえてがん闘病を打ち明けたのは、2014年にがんが見つかってから現在まで、約1600日にも及ぶ闘病生活に、ようやくめどが立ったということかもしれません。その区切りとして、どうしても愛子さんへの感謝を公にしておきたかったのではないでしょうか」(別の音楽関係者)
2年ぶりのコンサートで、吉田はどんな歌声を聴かせてくれるだろうか。
※女性セブン2019年4月11日号
まさにおしどり夫婦