当時の一座は十日ごとに芝居を変えていったという。このことが素人同然で役者を始めた伊東にとっての訓練になった。
「月に三回も芝居が変わるんで、作家が書けないで逃げちゃうんです。楽日の翌日は次の芝居の初日なんですが、その台本がないので本番を終えた夜中に集まって座長が口立てで芝居を作っていきました。役もみんなで相談しながら作って。暗転と幕のきっかけだけスタッフに伝えたら、あとは即興で芝居を繋げていくんですよ。大変というより、楽しい作業でした。台本がないから、何を言っても間違いにならないんで。でも、初日が終わった時は頭が真っ白でした。
全て即興なので、しょっちゅう舞台袖にいて神経を尖らせながら『どこで出よう』と考えていました。バッと出たら座長に『違う』と口パクで言われたこともありました。でも、ただ引っ込むだけでは芸がない。『引っ込むなりに何か言ってから引っ込め』と座長は言う。それで『さあて、町内を一回りしてくるか』とか、アドリブでやりました。
初日を観た人と楽日を観た人では違う芝居だったと思いますし、そういうのをまた楽しみに来るお客さんもいました。台本のない芝居を見せるのは失礼なことだけど、振り返ってみれば面白い時代ですよね」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中
※週刊ポスト2019年4月26日号