周囲には相談できなかったのか
犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)が同じように引きこもりを続けていたことを受けて、「このままでは息子も第三者に危害を加えるかもしれない」と思い詰めて犯行に及んだと、熊沢容疑者は供述したとされる。
熊沢容疑者は東大法学部を卒業後、農水省に入省。経済局長や農水審議官などの国際畑を歴任し、2001年に事務次官に就任した。熊沢容疑者を知る農水官僚が指摘する。
「エリート街道のど真ん中を歩いてきたのに温和で立派な方だった。出世したいという野心もなさそうで周りが盛り立てるタイプでした。家族について話すのを聞いたことはありません。悩みを抱えているようにはまったく見えなかった」
小泉政権下の2002年、BSE問題の不手際の責任を取って事務次官を退任し、駐チェコ大使などを経て、リタイア生活に入った。だが、その暮らしは平穏とはほど遠かった。
息子の英一郎氏は定職につかず、アニメやゲームに心酔して、親の仕送りで暮らしていた。自身のツイッターでは、
〈庶民が、私の父と直接会話なんて、1億年早いわヴォケ!!!〉
〈もし殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺すな〉
などと、両親への複雑な思いを吐露していた。
都内でひとり暮らしだった英一郎氏はゴミ出しなどをめぐり近隣トラブルが絶えず、熊沢容疑者の心労は重なるばかりだった。事件6日前には暴れる英一郎氏から激しい暴行を受けたと熊沢容疑者は供述している。
※週刊ポスト2019年6月21日号