グループ・サウンズ(GS)ブームまっただ中の1968年、デビュー曲『小さなスナック』が大ヒットしたパープル・シャドウズ。そのテクニックの高さでも知られたギター担当の今井久が、同年に映画化され社会現象にまでなった大ヒット曲とGSブームの思い出を語った。
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元々兄がハワイアンミュージックをやっていて、僕も大橋節夫さんに憧れてハワイアンで生計を立てることを目指していたんですよ。でも時代がハワイアンからGSのブームになってきて。そんな時、大橋節夫&ハニーアイランダースのマネージャーから、サベージが所属している事務所を紹介されたんです。それが僕らのGSとしてのデビューのきっかけでした。
おかげさまで僕が作曲したデビュー曲の『小さなスナック』がヒットして、それまで「純喫茶」という名称が主流だったのに、一気に全国に「スナック」が増えたようですね。「モデルはウチだ」という店があっちこっちに現われて……実際には、赤坂の当時の事務所近くにあったスナックがモデルだったんですよ。『小さなスナック』は藤岡弘(現・弘、)さん主演で映画化もされ、僕たちも出ました。松竹の大船撮影所に通いましたね。何しろ1シーンだけ撮ったらその日は終わりって言うんで、また東京に帰って……。何日もその繰り返しでした。
あの時代の日本というのはちょうど高度成長期の後半で、テレビ文化は華やかでしたし、ジュークボックスもあっちこっちにあって、大衆に向けて音楽が放たれてましたね。仕事場としてはジャズ喫茶が多くて、ジャズ喫茶ではモンキーズとかレターメンとか、当時の流行りのポップスをやっていました。今思えば1960年代はポップスの黄金時代でしたね。