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2019.06.28 07:00  週刊ポスト

日本のミスコン、米への配慮や人権侵害指摘等経て現在に至る

第1回グランプリの山本富士子(提供/ミス日本協会)

 1888年、ベルギーで世界初の美女を選ぶミス・コンテストが開催された。21人のドレス姿の女性たちが、その美を競ったとの記録が残っている。

 一方、日本では1891年、当時浅草のシンボルだった67mの高さを誇る眺望のための高層建築物「凌雲閣」で、100人の芸者の写真が各階に展示されたものがルーツとされている。来場者たちの投票によって決めたとされ、観客誘致のPRといった趣が強かったようだ。ただし、このコンテストで審査されたのはあくまで芸者であり、一般女性ではなかった。

 今日のように広く一般に公募する形でコンテストが行なわれたのは1907年、アメリカの新聞社・シカゴ・トリビューンからの「世界一の美人を決めるため、日本も協力してほしい」という要請がきっかけだった。これに応えた時事新報社は、全国の新聞社から写真を集め、日本代表となる美人を選定。日本のミスコンのはじまりとされる。

 戦後に創設された「ミス日本」は、もともと日本に対する救援物資への感謝を伝えるべく、アメリカに送る親善大使の選出が目的であった。栄えある第1回優勝者は、後に女優として活躍する山本富士子。その後、メディアや自治体などが主催するミスコンが頻繁に行なわれるようになり、70年代からは女子大生からミスを選ぶミスキャンパスも盛んになっていった。ミスに選ばれたことを契機に、女優やアナウンサーなど、芸能界入りする女性も続々と現われ、夢を叶える手段として一般的になっていった。

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