ライフ

日本女性の下着の流行と景気の相関、研究家が解説

1978年、フロント・ホックのブラジャーが発売されるやいなや爆発的人気に(写真/共同通信社)

 日本の女性はどんな下着を付けてきたのか? 明治維新を経て、西洋の文化が流入するようになった日本に、西洋下着も輸入されるようになった。大正末期~昭和初期にかけて海外から輸入されたブラジャーは「乳(房)バンド」「乳ホルダー」「乳おさえ」と呼ばれ、新聞や雑誌に広告が掲載されたが、普及するには至らなかった。

 この時代の日本はまだ和装が主流であり、女性の下着は襦袢か腰巻きだった。また欧米人女性と日本人では体型の違いもあり、規格が合わなかったのも理由とされる。日本にブラジャーが普及するのはいつからなのか。ブラジャー研究家・下着研究家の青山まり氏が解説する。

「第二次大戦後、和江商事(現ワコール)が開発・販売したものが国産ブラジャー普及の始まりです。国内の装いが和装から洋装へと変化していくに従い、それまでの襦袢や腰巻きといった肌着は洋装に適さなくなり、ブラジャーの需要が高まります」

 ワコールは1949年に「ブラパット」、その翌年にブラパットを入れる内袋つきのブラジャーを発売した。日本人のために作られたブラジャーは売り上げを伸ばし、ワコールは1952年に大阪・阪急デパートで日本初の下着ショーを開催した。1959年には児島明子がミス・ユニバース世界大会で優勝するなど、洋装が似合う美と体型がもてはやされるようになる。

「女性の下着に対する意識の変化、技術的な進歩など、日本の下着は、1964年の東京オリンピックが普及の契機だといえます」(青山氏)

 それまでの日本女性像は、家事に勤しみ家を守る良妻賢母が理想だった。高度経済成長期には、家庭の外で働き収入を得る女性が出現し始める。それに伴い動きやすい下着の需要が高まった。また、1960年代に伸縮自在のオペロン繊維が登場し、ワコールがフルストレッチブラを発売し、世の女性のニーズに応えていった。

関連記事

トピックス

氷川きよしの白系私服姿
【全文公開】氷川きよし、“独立金3億円”の再出発「60才になってズンドコは歌いたくない」事務所と考え方にズレ 直撃には「話さないように言われてるの」
女性セブン
5月場所
波乱の5月場所初日、向正面に「溜席の着物美人」の姿が! 本人が語った溜席の観戦マナー「正座で背筋を伸ばして見てもらいたい」
NEWSポストセブン
AKB48の元メンバー・篠田麻里子(ドラマ公式Xより)
【完全復帰へ一直線】不倫妻役の体当たり演技で話題の篠田麻里子 ベージュニットで登場した渋谷の夜
NEWSポストセブン
水原一平容疑者は現在どこにいるのだろうか(時事通信フォト)
《大谷は誰が演じる?》水原一平事件ドラマ化構想で注目されるキャスティング「日本人俳優は受けない」事情
NEWSポストセブン
”うめつば”の愛称で親しまれた梅田直樹さん(41)と益若つばささん(38)
《益若つばさの元夫・梅田直樹の今》恋人とは「お別れしました」本人が語った新生活と「元妻との関係」
NEWSポストセブン
被害男性は生前、社長と揉めていたという
【青森県七戸町死体遺棄事件】近隣住民が見ていた被害者男性が乗る“トラックの謎” 逮捕の社長は「赤いチェイサーに日本刀」
NEWSポストセブン
学習院初等科時代から山本さん(右)と共にチェロを演奏され来た(写真は2017年4月、東京・豊島区。写真/JMPA)
愛子さま、早逝の親友チェリストの「追悼コンサート」をご鑑賞 ステージには木村拓哉の長女Cocomiの姿
女性セブン
被害者の平澤俊乃さん、和久井学容疑者
《新宿タワマン刺殺》「シャンパン連発」上野のキャバクラで働いた被害女性、殺害の1か月前にSNSで意味深発言「今まで男もお金も私を幸せにしなかった」
NEWSポストセブン
NHK次期エースの林田アナ。離婚していたことがわかった
《NHK林田アナの離婚真相》「1泊2980円のネカフェに寝泊まり」元旦那のあだ名は「社長」理想とはかけ離れた夫婦生活「同僚の言葉に涙」
NEWSポストセブン
大谷翔平の妻・真美子さんを待つ“奥さま会”の習わし 食事会では“最も年俸が高い選手の妻”が全額支払い、夫の活躍による厳しいマウンティングも
大谷翔平の妻・真美子さんを待つ“奥さま会”の習わし 食事会では“最も年俸が高い選手の妻”が全額支払い、夫の活躍による厳しいマウンティングも
女性セブン
広末涼子と鳥羽シェフ
【幸せオーラ満開の姿】広末涼子、交際は順調 鳥羽周作シェフの誕生日に子供たちと庶民派中華でパーティー
女性セブン
パリ五輪への出場意思を明言した大坂なおみ(時事通信フォト)
【パリ五輪出場に意欲】産休ブランクから復帰の大坂なおみ、米国での「有給育休制度の導入」を訴える活動で幼子を持つ親の希望に
週刊ポスト