評論家の呉智英氏
迷惑であり余計なお世話であるにもかかわらず、学者たちが調査したがる根拠は何か。「知の特権」である。「知」は何をやっても許されるという特権である。ジャーナリズムの報道もその一つだ。しばしば問題になる犯罪被害者の報道はその好例である。被害者は「知」られたくないのだ。
では、調査される側が反撥する根拠は何か。これも宮内庁側は敢えて言いたがらないのだが、実は「人権」である。墓を暴かれてあれこれいじりまわされ好奇の目に曝されたくないという権利だ。
意外と気づきにくいのだが、古墳調査の是非論の根底には「知の特権」と「人権」の対立がある。
明治以後、北海道先住民アイヌへの関心が高まり、「知的」な研究対象となった。形質人類学(生物人類学)的観点から、アイヌの墓を発掘し、その遺骨を研究資料として保存することが行なわれた。その返還要求が「人権」の立場から叫ばれるようになり、近時返還は実現しつつある。こうした先例も、天皇陵発掘調査反対論に有利なはずなのに、宮内庁側は敢えて言及しない。
「知の特権」批判は五十年前の学生叛乱の時代に話題になりながら議論は全く深化しないまま今に至る。論者たちが知者ではなく愚者だったからだろうと、私は思う。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年9月20・27日号