Mさんも、日本語や日本の慣習をよく学んでものの、結局希望は受け入れられず、日本で農業実習生として従事することになった。彼らは、日本人の最低時給ほどで働くことを余儀なくされ、残業代の出ない残業を強いられることも珍しくはない。借金して高い金を支払い、やっとくることができた日本である。家族のためにも逃げられず、泣きながらでも仕事をするしかない。そんな中でも、Mさんには新たな希望が持てた。それは、日本の農家で働きながら、日本語や日本の慣習をさらに学んで、帰国した後に現地の日系企業で働く、という夢だ。
「ここ(茨城)にいても、毎日ベトナムの友達と過ごすしかない、休みの日もそう。みんなで家に集まって、お酒を買ってきてパーティーをするくらい。これだと日本に来た意味がない、日本語も勉強できない。だから、日本人の友達作って遊んだり、日本語を教えてもらっている。でも、私のようにポジティブになれない人もいる。せっかく高いお金払ったのにって怒って、携帯電話の嘘の契約をしてお金儲けしたり、泥棒したり。女の子はバー(キャバクラなど)で秘密で働きます。逃げる人もいる。みんなネットやってるから、怪しい学校(送り出し機関)の情報は知ってますけど、それでも騙される人がいる」(Mさん)
かねてより、外国人実習生による「奴隷労働」を問題視する指摘がなされてきた。その中で日本政府は、特定とか高度だとか様々な用語を駆使し、低賃金で働く途上国の外国人労働者をなんとか受け入れようと、今も躍起になっている。そのゆがんだ労働実態に巻き込まれた当事者たちが、道を踏み外しやすくなるのは当然では無いのか。
全国津々浦々、都会のコンビニから僻地農家の庭先にまで、外国人実習生の姿が見られる。彼らは本当に日本で「高度な技術」を学び、帰国して母国の発展に寄与するような仕事につけているのか。その答えこそが、今日本国内で目に見えて増えているように感じられる、これらの“事件”ではないのかと強く思う。それとともに、彼ら外国人と我々日本人の間に壁が作られつつある現実にも不安を覚えるのである。