共に日本代表に選出された中村亮土(左)と山中亮平(時事通信フォト)
◆さっさと日本代表に帰れ!
1つは、2010年11月3日。中村が帝京大学1年生だったときの対抗戦、早稲田大学との試合だ。この日、中村はスタンドオフ(SO)として対抗戦初先発。対する早稲田大学のSO、いわゆる「トイメン」には、今大会を一緒に戦った山中亮平がいた。
このときの山中はすでに日本代表キャップを持つ実力者。学生の中では、突出した存在だった。初先発の1年生と日本代表の4年生。格の違いは誰の目にも明らかだった。だが、中村がひるむことはなかった。ボールを持って前に出る山中に対し、中村は鍛えたフィジカルをぶつける。気がつくと山中は仰向けに倒れており、自分がその上に乗っかっていた。好タックルにスタンドも沸いた。試合後、中村はこう語っている。
「山中さんは日本代表。実力はかなり違うと思いますが、名前負けだけはしないようにと、思い切っていきました。タックルで止めた場面もあったので、よかったです」
この日の中村のパフォーマンスはすばらしく、スポーツライターの藤島大氏も、試合後、「あの1年生(中村)は、いいね!」と、中村のプレーを絶賛していた。
その後、同じポジションに、のちに東芝のキャプテンとして活躍する森田佳寿がいたこともあり、控えに回ることが多かった中村だが、2年生のときの日本選手権でのパフォーマンスが、当時の日本代表エディ・ジョーンズHCの目に留まり、日本代表合宿に招集されることになった。
この年の春、中村は日本代表と帝京大とを行ったり来たりする、忙しいスケジュールとなる。しかも、それぞれ、求められるものが少しずつ異なっている。もちろん共通するものも多いのだが、一方で求められるものがもう一方では封印したほうがいいというケースも少なくなかった。
このジレンマが表面化した瞬間があった。2012年5月20日、瑞穂ラグビー場で行われた、帝京大対トップリーグ・豊田自動織機との練習試合の前半だった。前に出る強さよりもスキル重視のプレーをしていた中村。これが帝京大・岩出雅之監督には「社会人に気持ちで負けている」と映った。そして、その気持ちの弱さがチーム全体に波及してしまっているようにも見えた。ハーフタイム、岩出監督から中村に檄が飛ぶ。
「そんな軽いプレーをして、何が『日本代表』か。そんなプレーしかできないのなら、このチームには必要ない。さっさと『日本代表』に帰りなさい」
最後の一言は、当時はまだあまり強くなかった日本代表への皮肉にも聞こえるが、岩出監督の真意は「気持ちを前面に出せない選手は、試合に出るべきではない」というものだった。同時に、「日本代表」(当時は「候補選手」)の肩書を持つ中村に檄を飛ばすことで、チーム全体の緩い空気を引き締める効果も狙っていた。
この檄はチームを変えた。5-17で前半を折り返していたが、後半は社会人相手でも気持ちで負けず、チーム全体がフィジカルで勝負し、どんどんと体を当てていく。中村の2トライなどもあり、この試合、33-24で逆転勝利を収めている。
格上の相手にも気持ちで負けず、フィジカルで勝負していくこと。そして、その気持ちがチーム全体に伝播していくこと。この試合は、まさに今大会の中村自身の、そして日本代表の戦いにも似ている。