そんな母も年を取って認知症になり、父に先立たれて独居になった。母がひとりで食事をする姿を想像して、躍起になってサ高住へ転居させようとしていた時、中学生になったSが小声でつぶやいた。「おばあちゃんはひとりでご飯を食べても、そんなに寂しくないと思うよ」
老親の孤食を不憫に思う娘心が「“小娘”のおまえにわかるものか!」と、その時は即座にSをにらんだ。
確かに、母本人が寂しいと言ったことはないが、孤食になってから激やせしたのが寂しさの何よりの証拠だ。それが転居後には明るい表情に戻ったのだから、選択は正解だったはず。しかし、自信ありげなSの言葉がずっと引っかかってはいた。
あれから6年。もう母の孤食を心配する必要はなくなり、Sも今年20才になった。私は穏やかな気持ちで、あの時の言葉のわけを聞いてみた。
「おばあちゃんはね、自分だけの世界があって、人と話していない時、そこで遊んでいるんだよ。結構楽しそう。私、仲よしだからわかるの」
思いがけない内容に、ちょっと頭に血が上るのを感じた。
「自分の世界で考え事をしたり、空想したりするから、ひとりでも全然寂しくないんだよ。ママみたいに理屈で考える人は寂しいでしょ。私、ママの孤食の方が心配だよ」
不意に痛いところを突かれて逆上しながらも、祖母と孫の間にある不思議な引力に、つい顔がほころんだ。
※女性セブン2019年11月7・14日号