その背景には、教育の影響も大きいのではないかと思っています。大学入試改革が迷走して大混乱が起きていましたが、もっと大きな枠組みで、教育そのものが劣化しているのではないでしょうか。
昔の教科書はびっしりと文字があって、白黒一色印刷で中身が詰まっていたんです。それをマスターするだけでも大変で。私の子供時代に塾に行っていたのは、学校での勉強についていけない子が多かった。でも今は学習指導要領がスカスカだからそれでは足りなくて、中学受験のために小学生からわざわざ塾に行き始める。
新しい教科を作ると言い出したかと思えば、英語やプログラミングですよ。大人になったら英語ができる人、プログラミングが得意な人を雇えばいいじゃないですか。まして今の子どもたちが大人になるころには、AIにとって代わられているかもしれないのに。
そうやって、わざわざ身につけなくてもいいことに時間をかけて、本物の教養を身につけさせる機会を奪っている。学校が教養を重視できなくなっているのは、由々しき問題ですよ。量はいずれ質に転換するものなので、詰め込み式の勉強に戻すべきなんじゃないかと私は思います。ゆとり教育が軟着陸した先で、学ぶべき内容まで減らされてしまった。
そうしている間に、「知らない」ことに対して日本国民があまりに無関心になっている気がします。習っていないから、昔のことだから、とか言い訳をつけて、無知を放置しちゃう。最近のことはなんでも知りたがるのに。過去に起きたことは、必ず繰り返されます。歴史を知るのは大事なことですよ。
過去についての知識、今の自分より少し上の教養を身につけようとする意欲を持てる、あるいは無知な自分を恥じることができる。教育は、そういう人間を育てられるように変わっていってほしい。一斗を、政治の知識が全くない、「いま何にも知らないからイチから勉強するわ!」と意気込むキャラクターにしたのは、そういう思いがあったからかもしれません。
◆菅官房長官にぜひ読んでもらいたい