8人タッグでは、田口隆祐の「どんどん」からのエビ固めで敗退
2000年前後、K-1やPRIDEなどの総合格闘技が隆盛を誇り、新日本の人気は衰退する。3000人収容のホールで1割しか観客の入らない試合もあった。ライガーが「今日も少ないな……」と意気消沈すると、“暴走キングコング”の異名を取った真壁刀義が「次、倍入れましょう。それを繰り返せばフルハウス(満員)になりますよ」と気丈に語った。
「あの言葉は忘れられない。良い試合をして呼び戻すしかないと後輩に教えられたんです」
2005年、ゲーム会社の「ユークス」が新日本の経営に参画。翌年、“100年に1人の逸材”といわれる棚橋弘至が試合後、ファンに「愛してま~す!」と叫ぶマイクパフォーマンスを始め、V字回復を果たしていく。2012年から「ブシロード」の子会社になると、試合のネット配信を試みて海外にまでファン層を拡げた。
「最初、棚橋選手の行動にはすごく抵抗がありました。でも、やり続けたことで、あの言葉がないと試合が締まらなくなった。『チャラいけど強い』という新しいキャラクターで、今の新日本を作った“チャンプ”ですよ」
1月6日の引退セレモニーでは10カウントゴングが鳴り響いた後、棚橋が音頭を取ってテーマ曲『怒りの獣神』をファンと歌い、送り出してくれた。
「新年会の打ち上げかと思いましたね(笑い)。リング上でウルッときたけど、息子が泣いているのを見て正気に戻った。今後は道場の“管理人”として若い選手をバックアップします。まずは、感謝の気持ちを込めて妻と2人で温泉旅行がしたい」
プロレス界を明るく照らし続け、誰からも愛された男は、今後も新日本とともに人生を歩む。
引退試合では高橋ヒロムに完敗
2日にわたる東京ドーム大会には計7万71人が来場
引退スピーチには棚橋も涙
引退セレモニーで妻、息子とともに
●取材・文/岡野誠 撮影/内海裕之 写真提供/新日本プロレス
※週刊ポスト2020年1月31日号