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2020.01.21 07:00  週刊ポスト

引退の獣神サンダー・ライガー「我々は怒りを表現しないと」

憧れの藤波辰爾とタッグを組んだ

 1988年、ゴールデン帯でのテレビ中継が消滅。プロレス人気に陰りが見えてきた頃、永井豪原作のアニメと同時進行で、新たなマスクマン構想が浮上。当初、新日本はのちに“日本マット界の至宝”と称される武藤敬司や史上最年少デビュー記録を持っていた船木誠勝に被らせようとしたが、計画は頓挫した。

「会社は困った末、僕を指名したそうです。10年くらい前に初めて知って愕然としました。でも、マスクマンに憧れていたし、こんな経緯も面白いかなと」

 1989年4月24日、プロレス団体初の東京ドーム大会で「獣神ライガー」としてデビュー。現在の名前に変えた翌年、空手家・青柳政司との異種格闘技戦で自らマスクを脱ぎ捨てるという暴挙に出た。

「紐を取ったり、ズラそうとしたりするので、頭にきて投げつけてやりましたよ。会社からは何のお咎めもなかった。“怒り”を表現したからだと思います」

 プロレス団体が急増していた1994年、ジュニアヘビー級の活性化を目的に組織の枠を超えた「スーパーJカップ」を提案。妻も出場レスラーの人選に関わった。

「カミさんはプロレスのクイズ番組で優勝するくらい詳しい。僕の試合も、腕を組みながら観ていますから(笑い)。私にとって因縁浅からぬ鈴木みのる選手と大先輩である前田日明さんの対戦を観に行った時、カミさんが館内に響き渡るような大声で『前田、死ね~~!』と叫んだら、シーンとしていた会場が盛り上がったこともありました」

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