ノートルダム清心学園理事長を務めた渡辺和子。父の最期を語り続けた(時事通信フォト)
◆戦争ばかりはやっちゃあイケナイ
それほど勉強熱心だった錠太郎は、ドイツ留学を経て第一次世界大戦中に欧州に派遣され、戦争がもたらす惨禍に強い衝撃を受ける。帰国後まもなく、錠太郎が記者たちに語った言葉が残っている。
〈「独逸(ドイツ)もなかなか偉い国であったが、戦争だけは大間違いをやらかした。どこの国でも軍事力が大きくなると、戦争がやりたくなる。だが、どんな事が有っても、戦争ばかりはやっちゃあイケナイ。」〉(岩倉渡邉大将顕彰会著『郷土の偉人 渡邉錠太郎』)
〈「私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様(ありさま)であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。」〉(同前)
渡辺錠太郎は「戦争を避けるための軍備」の重要性を説いてまわるようになる。陸軍の要職にありながら、「非戦=避戦」を説いたその先見性は、現在から見れば特筆すべきものだ。しかし、そうした知識や先見性は、当時の陸軍内で十分には理解されることなく、逆に二・二六事件を主導したグループ(皇道派)に対する側の筆頭と目され、襲撃対象にされてしまったのだった。
歴史に「イフ」はない。それでも、もし「非戦派」の渡辺錠太郎が二・二六事件で斃れることなく、その後の陸軍を指揮していたら昭和史は変わっていたかもしれない──そんな夢想を掻き立てられる人物である。