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2020.02.09 07:00  NEWSポストセブン

「二・二六事件」85年目の真実 “陸軍屈指の読書家”の死

二・二六事件当時の渡辺邸南面。襲撃部隊が侵入した縁側部分の雨戸が開かれている(渡辺家蔵)

◆給料の大部分は「丸善」の支払いに

 渡辺錠太郎は、愛知県小牧の農家に生まれた。生家が貧しかったために、小学校もろくに通えなかった錠太郎は、友人の教科書を借りて独学で学び、陸軍士官学校を受験したという。初の本格評伝となる新刊『渡辺錠太郎伝』(小学館)が話題となっている歴史研究者の岩井秀一郎氏が、「小卒」から「陸士」へ入ったことの意義を解説する。

「生まれ育った小牧や岩倉では、地元の研究者らが伝記を編み、その中で独学で刻苦勉励を重ねた渡辺錠太郎を『明治の二宮金次郎』と評しています。当時の陸軍士官学校は、官費で通えることもあって、全国から極めて優秀な学生たちが数多く受験するエリート校でした。地元では“小卒”が陸士を受験した試しはないとして、願書を門前払いしようとしましたが、錠太郎はそこに果敢に挑戦し、その地区でトップの成績で合格します」

 陸軍大学校も首席で卒業し、「恩賜の軍刀」を受けた錠太郎は、陸軍に入ってからも勉強熱心だった。書店の「丸善」で軍事書などの洋書を買い求め、当時最先端の情報を学んでいた。そんな錠太郎を評して、「陸軍の文学博士」「学者将軍」などと呼ぶ声もあったという。いずれにしても、その読書量は尋常ではなかった。

「錠太郎と親しかった朝日新聞記者の高宮太平は、『読書と戦術の研究に日夜没頭し、月給の大部分は丸善の支払に充てていた』と記録しています。実際、他の証言でも本の購入費が家計を圧迫するほどだったとあり、錠太郎の新刊書漁りは有名だったそうです」(岩井氏)

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