1972年、Iという男と「マックボンボン」を結成し、地方をまわり営業をし、『ぎんぎら!ボンボン!』というテレビ番組まで持つもすぐに消滅。私はこのコンビが大好きだった。まるでジャイアント馬場のように足で相手の顔面につっこむなど、暴れっぷりはみごとだった。
私に小声で「オレ、本当は萩本さん好きなんだ」と言った。ドリフのライバル、コント55号である。この頃、私はそっと「全員集合」から抜け出し、食べるために死ぬ程歌番組の台本を書き、尊敬する三波伸介番組を量産していった。そしてビートたけしと『オレたちひょうきん族』で裏番組としていかりやに恩返し。
1974年3月31日、荒井注ドリフ脱退。志村「見習い」の肩書き消え、ドリフの正式メンバーに。46年後、3月30日志村訃報。ソウルフルなギャグマシーンであった。
■イラスト/佐野文二郎
※週刊ポスト2020年4月24日号