宅間は公判廷で、裕福で安定した家の子供でもわずか五分、十分で殺される不条理を分からせてやりたかった、とわめきたてた。どこかで聞きかじった「不条理」という言葉で、凶行を正当化したかったのだろう。こんなゴミ人間に不条理を啓蒙していただく必要はどこにもない。

 こういう誤読が起きるのは、まず「不条理」という訳語が原因である。原語はフランス語でabsurde、英語ならabsurd、綴字と発音は少し違うが、意味は同じで「ばかばかしい」「不合理な」である。語源もab(全く)surde(愚かな)である。だからといって「ばかばかしい文学」とするわけにもいかない。「不合理の文学」でも意を尽くせない。そこで「不合理」と同義であまり使われていない「不条理」を訳語にしたわけだ。

 カミュが不条理・不合理を描くのは、西洋に一貫して流れるキリスト教的思想を否定するためだ。この世は神の定めた「合理」に貫かれており、人間もまた「合理」に生きる、とする思想である。しかし、ペストの病禍にしろムルソーの凶行にしろ、「不合理」そのものだ。世界の本態はそのようにある。だが、人間は神に刑せられたギリシャ神話のシジフォスのように、絶望的な努力を喜びをもって繰り返す。『ペスト』の医師リウーもまた一人のシジフォスである。

 カミュを誤読しないためにもコロナ禍の下『ペスト』を読むべし。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2020年5月1日号

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