「人の役に立つかどうかで価値を判断し、好き嫌いをイメージで語ること自体、人間の脳の仕業です。物語を作る能力がある分、目の前の事象に理屈をつけて納得したがることは、人間の生物学上の一大特徴です。
カラスに関しても死体を漁る下賤な鳥とか、勝手な神話や物語が一人歩きしています。特に90年代に東京のカラスが狂暴化しているとマスコミが騒いでからは、カラス=人を襲うものという刷り込みが数々の冤罪を生みました。ただ、一見わざと頭の上に糞を落としたかに見える彼らには、そもそも糞は汚いという感覚さえないんです。人間に迷惑かけようが役に立とうがお構いなしなところも、〈だがそこがいい〉と思うんです」
人間同様雑食で、〈「お前、それが餌に見えるの?」というものを持って行く時もある〉カラスは、固い殻を車に轢かせて割るほどには賢いが、その実、〈見えたものが全て〉の超リアリストでもあり、その徹底ぶりが〈ドジ〉に見える場合も。
「ある時、ハシボソガラスが川でナマズを捕まえ、雛に与えるために一口分の肉をくわえて巣に戻った。その間に、トビが飛んできて残りを攫っていきます。ところがそのトビの姿を目撃したにもかかわらず、トビと肉の消失を結びつけることなく、『トビがナマズを取ったところは見ていないから、まだナマズは近くにあるはずだ』と、ずっとキョロキョロ探し回っていて、何とも間抜けなんです(笑い)。予測も我慢もできるのに、今が全てなんですよね。
こんな魅力的なカラスの評価が、人間側の偏見で乱高下し、その結果として彼らの生殺与奪にまで影響してしまうことを危惧しています。カラスは小鳥の天敵だから駆除しろとか、生活ゴミなどの人工物に依存するなんて不自然だと言う人がいますが、鳥側から見れば餌に人工も天然もなく、都市も森も外部環境の1つに過ぎません。