都知事選への出馬を表明した小池知事(共同通信社)
《そんなある日、帰宅すると小池の姿がなく、ダイニングテーブルの上に、めずらしくノートが広げてあった。早川さんは何気なく覗き込み、その、あまりにも拙いアラビア語を見て驚く。(中略)英語でいえば、「This is a pen.」にあたる文章が、ぎこちなく上下していた》
小池氏がカイロに渡った1971年頃、留学はまだ“選ばれた人”のものだったけど、その後1980年代になると、猫も杓子も留学。語学の勉強をするというのが、ちょっとしたトレンドになったのよね。
なんと、この私も20代のとき、イタリア語教室に半年通ったのだから笑っちゃう。で、わかったのは、私は語学に向かないということ。
1つの言語を自分のものにするのに近道はない。ひたすら膨大な数の単語を覚え、机にへばりついて文法の学習を続けるしかない。それはものすごく孤独な勉強よ。ポルトガル語の古文書を読める私の知人は、「留学先で大学の卒論を書けるレベルまでになったら、心か体か、どっちか壊す」と言うけど、その通りだと思う。生半可な気持ちで留学したところで、かなり早い段階でイヤになっちゃうのがオチ。
でも、身振り手振りで表現できて、人の顔色が読めるような人は本能的なコミュニケーション能力が高いから、ひたすら単語や文法を覚え込む前に、その場をなんとか乗り切れたりする。
私がそうだったけど、小池氏もそのタイプだったんじゃないかしら。論理・理論に欠けていても、相手とのやり取りや駆け引きでその場を乗り切る――小池氏はカイロ留学でその術を身につけ、今日に至っているように思う。
帰国した小池氏は1982年に初めての著書『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社刊)を出版する。カイロから帰国して7年目。テレビに出るようになって4年目の出版だ。その本を手にした早川さんの言葉が印象的だ。
《小池の言葉が急に思い出された。「私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに早川さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」》
何がバレちゃうのかは同書に預けるが、その言葉通り、海外で多くの時間を過ごした早川さんの名前が小池氏から出たことは一度もない。私たちが知らない“小池劇場”の、未完の脚本ともいえる一冊でもある。
※女性セブン2020年7月2日号