12人全員の証言が綴られた(『アサヒグラフ』1954年8月11日号)
引き起こした結果の受け止め方は微妙に違いますが、自分の行為を悔いている乗員はひとりもいないし、犠牲者への謝罪の言葉はありません。そもそも謝ってどうなる問題でもないし、当時のアメリカ社会の雰囲気の影響もあるでしょう。もし自分が彼らと同じ立場なら、「原爆が多くの人を救った」と“本気”で考える可能性は大いにあります。
「記事に彼らの幸せそうな写真が並んでいるのを見て、日本人の中には『たくさんの人を殺しておいて、自分だけのうのうと暮らしやがって』と感じる人もいたかもしれない。ただ、この記事が訴えようとしているのは、普通の人が命令ひとつで大量殺戮に関与してしまう『戦争の怖さ』や、戦争をしてしまう『人間の愚かさ』ではないでしょうか」
広島では「エノラ・ゲイ」号が投下した原爆によって、推計14万人が犠牲になりました。「エノラ・ゲイ」号の乗員たちは、命令に従っただけとはいえ、間違いなく加害者です。しかし、戦争における加害者は彼らだけではないし、どちらかの国の軍人だけでもありません。彼らは、なぜ原爆を投下させられる羽目になったのか。そして、原爆が投下されてから9年目の夏、日本人はこの記事をどう受け止めたのか。
そんなことに思いを巡らせるのも、75年目の夏の有意義な過ごし方と言えるでしょう。それが私たちにできるせいいっぱいの追悼であり、新型コロナウイルスとはまた違う別の厄介なウイルスに感染しないための有効な予防策です。