『太陽にほえろ!』のプロデューサーだった岡田晋吉氏が言う。
「渡さんは、とにかく裕次郎さんに尽くしていましたからね。裕次郎さんが病気になった時も『太陽にほえろ!』で代役を買って出てくれたり、ボスに恥をかかせちゃいけないという意識を常に持っていた。石原プロを支え続けた渡さんの力は計り知れない」
石原プロの現場指揮官の渡と、彼を信頼して見守る裕次郎の姿は、まさに『西部警察』の木暮・大門そのものだった。
「本来、映画制作を望んでいた石原プロでしたが、1970年代半ばからはほとんど映画を作ることができなかった。裕次郎さんの台詞には謝罪の意味もあったのかもしれません。
しかし、彼らは映画並みのクオリティの作品を年間50本も量産していたんです。良い作品を作ろうという石原プロの意気込みと、ある種のどんぶり勘定的大らかさが不朽の名作シリーズにつながった」(前出・杉作氏)
男女同権やコンプライアンス遵守が叫ばれる現代、石原軍団が活躍したドラマは地上波での再放送すらままならず、「前世紀の遺物」のように評価されることもある。石原プロの業務終了は一つの時代の終わりを象徴しているのかもしれない。しかし前出・堀井氏はこう力説する。