大学では伝統的に法文系偏重とされていたのを、理系学部の増設に力を入れる。文部省は理工系学部の学生を1万6000人増員(後に2万人に修正)する計画を立てたが、わずか3年で達成。大学の理工系学生数は10年間に3倍となった。
教育社会学が専門の伊藤彰浩・名古屋大学教育学部教授(教育社会学)がいう。
「池田政権のときに行なった理工系2万人増員計画や工業高校を増やす方針により、多くの技術者・技能者の教育機関ができました。
そこで学んだ学生・生徒が、大学であればその後の日本の輸出産業の高度な技術力を支え、工業高校であれば中小企業も含むモノづくりを支えていったことは、学問的な立証は難しいですが、まず間違いないでしょう」
池田が理工系教育の土台をつくったことが、日本の科学立国、工業立国を人材面で支えたのである。
古代中国の政治家・管仲の言葉に、「一年の計は穀物を植え、十年の計は木を植え、終身の計は人を植える」とあり、転じて人材育成は「国家百年の計」と呼ばれる。
近年、日本が毎年のようにノーベル賞学者を輩出するようになったのも、種を蒔いたのは池田の「学校倍増計画」だと言えるのではないか。
※週刊ポスト2020年8月14・21日号